7月21日

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7月21日

 村山和夫(むらやまかずお)は辺りを見渡した。だが、何も見えない。真っ暗だ。一体どこだろう。夢だとわかっているが、なかなか夢から覚めない。 「和夫! あんたのせいで会社クビになっちゃったじゃないの!」  誰かの声がした。だが、誰もいない。母の和子(かずこ)だとわかっている。だが、和子はいない。どこにいるんだろう。 「どうしてくれるんだ!」  父、俊介(しゅんすけ)の声もした。だが、父もいない。どこだろう。 「これからどうやって生きていけばいいの?」  和夫はうずくまった。早く夢から覚めろ! 早く夢から覚めろ!  和夫は目を覚ました。夢だった。ここ最近家族に怒られる夢ばかり見ている。そのたびに和夫は汗を流している。  時は1986年7月21日。和夫にとって、今年はちょっと違った夏休みが始まろうとしている。  和夫は東京の中学生。いわゆる不良グループの一員で、学校のズボンのゴムを抜いて学校に通っている。成績は決して良くなく、勉強はどちらかというとできない。部活はテニスをやっているが、レギュラーにはなれない。  そんな和夫は、夏休み目前にある問題が発覚した。いじめだ。半年ぐらい前から友達と一緒に智也をいじめていた。毎日にイライラしていて、それを弱気な智也にどんどんぶつけていった結果、いじめに発展した。  最初は駄目なことだとわかっていた。しかしその快感がやめられなくなった。友達も同じだった。殴るけるの暴行を加えたり、悪口を言ったりしていた。それでも弱気な智也は先生に言わなかった。仕返しが怖かったからだ。  しかしある日、期末テストが終わり、夏休みのことを考えていたその矢先、いじめが発覚した。智也の母が息子のあざに気づき、智也に聞いたことで発覚した。和夫とその仲間は翌日呼び出され、注意された。和夫とその仲間は反省し、もうしないと約束した。  本当に悪いことはこの後に起こった。和子が近所の人から冷たい目で見られた。いじめの影響だった。和子はそのことをあまり言わなかったものの、和夫は深く傷つき、休日は家に閉じこもることが多くなった。  サラリーマンの俊介は会社での評判が悪くなり、クビにされそうになった。何とか大丈夫だったものの、給料が減ったという。俊介は和夫に激しく当たり、びんたもした。和夫は泣きそうになった。  ショックを受けた和夫は学校に行くのが怖くなり、行かないことが多くなった。先生もそれを心配していた。そこで、両親と3者懇談をした結果、祖父のシゲの家で夏休みを過ごすことになった。最初、和夫は抵抗していた。しばらく友達と離れ離れになるからだ。しかし、半ば強制的な感じで行かされた。  和夫と和子は単行のディーゼルカーの中だ。乗っている人は2人以外全くおらず、ほぼ貸し切り状態だ。ディーゼルカーのモーター音が車内に響く。 「眠っていたの?」 「うん」  和夫は悪夢に震えていた。和夫はまた汗をかいている。 「汗かいてるわよ。大丈夫?」 「何とか大丈夫だよ」  和夫は笑顔を見せた。和夫が笑顔を見せたのは何日ぶりだろう。和子は心配そうな表情で和夫を見ていた。  和夫は車窓を見た。ディーゼルカーは川に沿って走っている。線路は峡谷に沿って走っていて、道路よりも少し高い所を走っている。その下には並行して道路が敷かれている。道路をトラックや乗用車が走っている。だが、東京より車の数が少ない。  和夫は森琴(もりこと)村にある森琴駅に降り立った。駅舎が残っているものの、無人駅だ。駅舎は木造で、誰も人の入らない事務所の窓には板が張られていた。ホームは2本あるが、駅舎の向こうのホームは使われておらず、レールは剥がされ、駅名標が撤去されていた。使われることのないホームやレール跡には夏草が生い茂っている。  この駅のある路線は本数が少なく、昼間は2往復しか列車が来ない。昔はもっとあったが、モータリゼーションや過疎化が進み、乗客が減少した。国鉄再建法が施行された時には廃止対象になり、バス転換が検討された。しかし、沿線が豪雪地帯で、冬季の代替輸送に問題があったことや、廃止反対運動が進められた結果、廃止されずに残っていた。だが、道路整備が進み、廃止のうわさも流れているという。 「あら和ちゃん、いらっしゃい」  駅前ではシゲが迎えていた。シゲは笑顔だった。和夫に会うのが楽しみだった。普通は盆休みと年末年始しか帰らないのに、今年はほぼ夏休み中いる。シゲはとても嬉しかった。  実はシゲは和夫が問題を起こしたことを知っていた。しかし、そのことは口に出さないでおこうと思っていた。笑顔で接しようと思っていた。 「こんにちは」 「はいこんにちは」  シゲはお辞儀をした。まるで和夫のやったことを知らないかのような表情だった。 「こんなことになったけど、夏休み、思いっきり楽しんでらっしゃい」  和子は和夫の肩を叩いた。和夫には前を向いてほしかった。 「それじゃあ、行こうか」  和夫はシゲの車に乗った。シゲの車は軽トラックだ。シゲの家は農家で、収穫した野菜を載せるために軽トラックを買った。 「おじいちゃん、ごめんね。家族をあんなことにして」 「和夫、そのことは何も言うな。夏休みを楽しく過ごそう。いじめの事も、それでお父さんお母さんをめちゃくちゃにしたことも気にしなくていいのよ」  シゲは笑顔をせ見た。まるで和夫のやったことを知らないかのようだった。  シゲは実家に軽トラックを走らせていた。実家はここから数十分の山奥にある。  和夫は軽トラックから風景を見ていた。軽トラックは川沿いを走っていた。川には釣りを楽しむ人が多くいた。ここは鮎釣りの名所で、この時期になると鮎釣りで多くの人がやってくる。  軽トラックはシゲの家のある秋平(あきひら)という集落に着いた。秋平は全盛期は100人ぐらい住んでいたが、現在では10人ぐらいだ。みんな高齢者ばかりで、消滅するのも時間の問題と言われている。  軽トラックは実家に着いた。シゲはここで1人暮らしだ。おととしに妻が亡くなった。和夫もおばあちゃんのことを覚えていた。実家に帰省するとたくさん遊んだ。  秋平は今から200年ぐらい前からある集落で、おもな産業は畑作だ。交通の便は決して良くなかった。駅からは離れていた。ここまではバスが走っていたが、今は走っていない。  交通の便が悪いことから、若い人はみんな秋平を去っていった。過疎化が進み、現在は10人が家族のように過ごしていた。みんな高齢者ばかりだ。彼らの息子はみんな都会に行ってしまった。盆休みや年末年始に家族が戻ってくる時しか賑やかにならない。  実家は藁ぶき屋根だ。今から100年ぐらい前に作られたという。この周りの民家も藁ぶき屋根だったが、実家はその中では一回り大きかった。 「さぁ、着いたぞ」  和夫とシゲは軽トラックを降りた。しかし和夫は下を向いていた。いじめの事が尾を引いてなかなか乗り気になれなかった。 「元気出せよ、和ちゃん」  シゲは和夫の肩を叩いた。元気になってほしかった。  和夫とシゲは実家に入った。実家は冷房がなかった。しかし、標高が比較的高いこの集落は夏でもそんなに暑くなかった。  和夫は部屋に荷物をまとめ、くつろいでいた。いつもは盆休みにしか行かないけど、今年は夏休み中ずっといることになった。それは自分のせいだ。そうわかっていたが、のんびりとくつろいでしまった。 「くつろいでいてもいいじゃないの。せっかくのシゲの家でしょ?」  声をかけたのはシゲだった。シゲは笑顔だった。まるで自分の起こした悪いことを知らないようだった。 「う、うん」  和夫は少し戸惑っていた。でも、言われたからにはいいんだろう。和夫はゆっくりくつろいでいた。  その時、実家の電話がかかってきた。和夫は受話器を取った。友達の優太だった。友達もいじめに関わったとして、和夫同様、家族に迷惑をかけた。こちらは仕事を解雇になったそうだ。 「もしもし」 「和ちゃん、大丈夫?」 「うん」  和夫は元気そうに答えた。しかし心の中ではそうではない。 「今年の夏は会えそうにないね」 「本当に残念だよ。」 「ごめんね」 「来年は遊ぼうね」 「うん」  和夫は受話器を置いた。来月9日の登校日に会えるのが楽しみだった。実家で何をしてきたか話したかった。  一方、優太は下を向いていた。昨日から両親が行方不明だった。遺書が残されていることから、無理心中の可能性が高いという。いや、そんなこと嫌だ。戻ってきてほしい。優太は強く願っていた。  和夫はそのことを知らなかった。ただ、優太の両親も影響を受けたということは知っていた。  その夜、和夫は実家の屋根裏部屋で夏休みの勉強をしていた。中には来月9日に提出のがあって、それを最優先でやっていた。一番難しいのが読書感想文だ。和夫は学校の図書館で借りてきた本を何度も読んで感想文を書いていた。  ちょっと一休みしようと思い、和夫は下に降りてきた。縁側で涼んで休憩しようと思った。  和夫は階段を下りた。その時、シゲはそれに気づき、テレビの電源を消した。しかし、その行動を和夫は見てなかった。 「どうしたんだい?」 「涼みにきたんだ」 「ふーん」  シゲは和夫の様子を見ていた。何かを隠しているような仕草をしていた。 「涼しい」 「冷房なんていらんだろ」 「標高が高いからかな? それとも東京がヒートアイランドなだけかな?」 「どっちも言えるな」  和夫は休憩を終えて、再び屋根裏に戻った。すると、シゲは再びテレビをつけた。シゲはテレビを食い入るように見ていた。  実はシゲが見ていたのは、優太の両親の無理心中のニュースだった。和夫がショックを受けると思い、見せなかったのだ。
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