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ファインダーを覗く。
真っ青な海原を背景に輝く純白色。愛らしい笑顔がファインダー越しに弾ける。
シャッターを押しながら、追いかける笑顔。
甦ってくる熱い想い。
神様はどうして、こんなにも意地悪なのだろう。こんな再会は望んでいないのに。
僕は構えていたカメラを手離して、砂浜で手を繋いでいる二人に声を掛ける。
「一回休憩にしましょう」
僕は、結婚式の前撮りを撮るウェディングフォト専門のカメラマンである。今日は一週間後に結婚式を控えた二人の撮影だ。
「いいの撮れたかな」
そう言って近付いて来るのは、純白のドレスを纏った女の人。それは、僕の元恋人の愛梨だ。その隣には背丈が高く、タキシードを着こなす品がある男の人。愛梨の夫になる人。
まさか、自然消滅した恋人に再会するなんて、思ってもみなかった。それも、結婚式の前撮りで会うなんて。
僕は複雑な気持ちでいた。なんとも言えない、心に靄がかかったような、スッキリしない気持ち。
あれは一週間前——。
*
式場での前撮り写真撮影の日。その時に初めて愛梨を見たとき、一瞬時が止まったような感覚に襲われた。もう何年も会っていなかったが、大人びた表情にも、相変わらずの無邪気な笑顔にも、心の音がパチンと弾けたのだった。
この日は花いっぱいの式場の庭園での撮影や、あたたかな陽だまりが差し込むチャペルでの撮影。
構えるカメラが震えた。ファインダー越しに見えるかつての恋人。真っ白なドレスを纏った彼女は、息を呑むほど美しかった。いつもは緊張している二人に、冗談を言ったりして和ませている僕だが、今日はそんな気の利いた言葉が出てこない。被写体を追いかけるのも、シャッターを押すのも、緊張してしまう。
二人が見つめ合う。手を繋ぐ。寄り添う。
いつもは幸せな気持ちで、二人のためにいい写真を撮りたいと思うのだが、今日はどうしてこんな感情でファインダーを覗いているのか……。
「お疲れ様でした。今日はこれでおしまいです。一週間後に海での撮影がありますので、その時もよろしくお願いします」
彼女は僕に気付いていたと思う。何かを言いたそうな顔をしていたが、夫になる人の前では話しかけにくかったのだろう。
僕はスタジオに帰ってきて、さっそくさっき撮った写真をパソコンに取り込んだ。画面の中で幸せそうに微笑む彼女。でも、それはただ、僕のレンズに向けられているだけで。彼女に幸せを与える相手はすぐ隣にいて。僕は心にモヤモヤを感じたまま、すぐに画面の写真を閉じたのだった。
それからの数日間、仕事をしていてもファインダーから覗いた彼女の笑顔が、脳裏から離れないでいた。
愛莉とは幼馴染だった。知らないうちに好き同士になっていて、知らないうちに付き合っていて。ずっと一緒にいるんだって思っていた。僕がカメラの勉強をするために東京に来てから、遠距離恋愛になった。始めは上手くいっていたが、段々と喧嘩やすれ違いが増えて、次第に連絡を取らなくなり……自然消滅となってしまったのだ。
スッキリした終わり方ではなかった。だから、それからずっと引きずっていて、誰かと付き合う気にはなれないでいたんだ。まだ僕は、彼女のことを忘れられないでいた。今回の再会でその気持ちにまた気付くなんて……思いもしなかった。気付いた途端に失恋だなんて、あまりにも酷すぎるのだが……。
*
海の撮影の休憩中、カメラの調整をしている僕の隣に彼女がやって来た。衣装を直している彼を見ながら、ボソッと喋り出す彼女。
「翔、元気そうだね」
「愛莉も。幸せそうで良かった」
「幸せ……なのかな」
「えっ?」
「私さ、政略結婚なんだよ」
「政略結婚?」
「愛なんてない相手とさ、この先一緒に居られるのかな」
「え、でも二人すごく幸せそうに見えたけど」
「上辺だけの愛だよ。いつか、本当に好きになれるのかな……」
彼女の悲しみを帯びた瞳に、群青色の深い色が溶けていく。
愛莉は意思が強い女だった。自分の気持ちを素直に僕にぶつけてきて、それでよく喧嘩になったりしていた。そんな彼女が政略結婚だなんて、僕はすごく驚いていた。
「まさか、翔にまた会えるなんて思ってなかったよ」
「僕もびっくりした」
「ちゃんと夢を叶えたんだね。すごいね」
隣に広がるのは以前の無邪気な笑顔ではなく、壊れそうな笑顔。抱きしめたい衝動に駆られる。
「あ、気付かれるといけないから、向こうに行ってくるね。ありがとう」
白砂を踏みながら、彼の方に駆けていく彼女に腕を伸ばしたくなる。でも、だめだ。
「さぁ、撮影再開しましょう」
突き抜ける空に輝く白いドレス。穏やかな波音の中、二人のシルエットを追いかけながらシャッターを押す。ファインダー越しに見える幸せを、彼女は上辺だけだと言った。それでも寄り添って笑い合っている姿。それはとても幸せそうで、キュッと胸が締め付けられる。彼女の瞳がこちらに向けられる度に、胸の音が激しく波打つ。
ドキドキする。
あぁ、僕は愛莉が好きなんだ……。
「はい、撮影お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
会釈して帰っていく二人を眺めた。一週間後に結婚してしまう二人。もう彼女には、二度と会えない。彼女の幸せを願うしかないんだ。
僕は、彼女の背中をただ見送るだけだった。
*
愛莉の結婚式の前日の夜。
僕はまだ未練タラタラのまま、画面で笑う純白の彼女を眺めていた。
〝幸せ……なのかな〟
〝愛なんてない相手とさ、この先一緒に居られるのかな〟
愛莉の言葉がずっと、耳の奥に棲みついて離れない。そんな事言われたら、諦められないじゃないか。お前が幸せならいいと思っていたのに、そんな事言われたら……。
その時、スマホがマウスの横で震えた。画面に表示されたのたは〝愛莉〟の文字。愛莉から? 僕は慌てて通話ボタンを押す。
「……もし、もし、愛莉?」
「もしもし、翔? 愛莉だよ」
「番号変わってなかったんだな」
「うん、翔も変わってなくてよかった」
「どうした?」
「あ、うん、明日式だからさ、なんか不安になって」
「話していて大丈夫なのか?」
「あ、うん。今、彼出かけてるから」
「まぁ、色々不安だよな……」
「うん……」
一瞬の沈黙。画面の彼女の瞳の奥は、とても寂しそうで、何かを言いたげに見える。
「……あのね、翔」
「何?」
「私ね、ずっと翔が忘れられなかったの」
鼓動が一気に速くなる。画面の瞳が僕を見つめる。
〝僕も〟と言いたい。〝今でも好きだ〟と。
僕は彼女と自然消滅した事を、ずっと後悔していた。どうして連絡しなかったのか? どうして会いに行かなかったのか?
でも……。
「愛莉、幸せになれよ」
僕はそれだけ告げて、電話を切ったのだった。
*
結婚式当日。
僕は寝不足のまま、ボンヤリした頭で布団に潜っていた。好きな人が誰かのものになってしまう日。気分は最悪だ。
視界は布団の白色だが、その中にあの海の青色が広がる。純白のドレスの彼女が砂浜を歩く。あの日、ファインダーを覗きながら、その白い腕を掴みたいと思って撮っていた。
彼女が幸せなら良かった。
でも、幸せになる事を戸惑っている彼女。
昨夜の彼女の言葉を思い出す。
〝私ね、ずっと翔が忘れられなかったの〟
あれは、彼女からのサインだ。
〝助けてほしい〟のサインだと思う。
そのサインをどうして、素直に感じ取れなかったんだ。
どうしたいんだ? 僕は。もう、後悔はしたくないだろ?
被っていた布団をバッと剥いで、勢いよく起き上がる。カーテンの隙間から降り注ぐ光。今日、光が降り注ぐチャペルで、二人は永遠の愛を誓うのだ。
そうなる前に、自分の気持ちだけでも伝えたい。どうするか決めるのは愛莉だ。
飛び出した雑踏の中、
遥か向こうに輝く純白色を見つける。
加速する鼓動を感じながら、一歩ずつ近付いていく二人の距離。
「逃げ出して来ちゃった」
そう言って無邪気に笑う花嫁。
僕はその笑顔を捕まえる為に、降り注ぐ光の中を全力で駆け出す。
end
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