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その日、遠野が依田と話を付けに行くと言っていたが、全く帰ってくる気配がなかった。
何かされているのではないかと心配になる。
さきほどから矢神は、連絡をしてみようかと携帯電話を片手に部屋の中をウロウロと歩き回っていた。
それから、30分経った頃だった。
玄関の扉が開いた途端、矢神は勢いよく駆け寄った。
「大丈夫だったか?」
矢神の一声に、遠野がなぜか吹き出した。
「大丈夫ですよ」
「何かされなかったか? 変な薬とか……」
「何もされてません。あ、矢神さんに謝っといてと言ってました。あんなに効くとは思ってなかったみたいで」
「……そう、なんだ」
靴を脱いで矢神の目の前に立った遠野は、何か吹っ切れたような清々しい表情をしていた。
「きちんと話つけたんで、オレたちにはもう関わってこないと思います」
落ち着いた雰囲気で、少し安心する。
「それなら良か――」
急に矢神の肩に遠野が頭を乗せてきたから固まった。
「ごめんなさい。少しだけこうしててもいいですか?」
「……いいけど」
――本当に好きだった人。
杏の言った言葉が頭をかすめた。
大切にしていた人に裏切られることがどんなに辛いか、そこから立ち直ることが苦しいことも、経験している矢神は痛いほどよくわかる。
簡単に忘れられるなら苦労しない。
そのことだけが頭を離れず、もやもやとした気分で塞ぎこむことが何日も続く。それでも生活は普通にしないといけないから、やっかいなのだ。
二人がどんな話をして決着をつけたかは想像がつかない。
だが、解決したからといって心の傷がすぐに癒されるわけがないだろう。
遠野の痛みが矢神にも伝わってくるようで胸が苦しくなった。
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