勝子姫への手紙

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勝子姫への手紙

 純一郎の養父である若松永福(わかまつながとみ)は前に書いた通り、公家の最高峰、摂家(せっけ)のひとつ、一条家に諸大夫(しょだいぶ)として仕えていた。  純一郎の朝廷出仕を聞かれた勝子姫からは、一条家とは別に絹五束が贈られた。それとは別に高級な菓子が添えられていた。純一郎の甘党ぶりを覚えておられたのである。  もう勝子姫とお会いすることもなかったが、純一郎は勝子姫と他愛もない話をしたりお菓子を頂戴したことを思い出し、甘酸っぱい懐かしさを憶えた。 (もうお会いすることもないのだろうな。私が将来、(こころざし)を決めても、報告することも叶わぬのだな)  純一郎は一抹の寂しさを感じた。  義父の若松にお礼の手紙をお送りしたいと述べると、若松は自分が内容を確認して後にお届けすると言い渡した。  純一郎は、 「久しくお目にかかりませんが、いつか姫様が遠くで私の名前をお聞きするくらいの器にはなりたいと思います」 という内容の漢詩を書いた。その漢詩の写しは残っておらず、どんな内容だったか不明である。  義父、若松は漢詩を読み、 「これならよかろう」 と幸之助に告げた。  随分と後のこととなるが、純一郎の未亡人は文芸評論家の柳田泉(やなぎたいずみ)(1894~1969)の訪問を受けたとき、 「そのような畏れ多いことは今、初めてお聞きしましたが、主人は一生、何も話しませんでした。陸奥宗光先生や後藤象二郎先生、星亨先生、板垣退助先生のことは聞いております。ただ三条実美公のこと、そして今、あなたのおっしゃった昭憲皇太后のことは一度も話しませんでした。ただ三条公のことは、岡崎(邦輔)さんや古河さん(陸奥宗光の次男は、足尾鉱毒事件で知られる古川財閥の養子となっている)の口からお聞きして存じています」 と答えている。
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