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風雲急を告げる八月
次の日、養父若松が一条家に出仕したときのことである。当主の一条忠香にお礼を申し上げると、一条はあたりを見回し小声で、
「奥の部屋へ」
とささやいた。あまり知られたくない相談をするときに使う小部屋である。
若松が下座に座ると、一条は小声で話しかけてきた。
「昨日、丹羽正雄が尋ねてきたようだな」
「はっ」
「貴公の縁者であるから会わぬわけにはまいるまい。だがあの男も、あの男が仕えている三条(実美)も極めて評判が悪い。三条を誹る者は多いし、三条を焚き付けているのは、貴公の縁者の丹羽正雄だと罵倒する者もおる」
三条実美は長州を後ろ盾に「天皇親政」の実現に奔走していた。一条の発言はその主張や行動に問題ありと断言しているに等しい。
若松は冷汗をかき、思わずその場にひれ伏した。
「私は大丈夫だが、何か起きれば貴公は少なからず影響を受ける。取り敢えず、丹羽とは距離をおくことだ。ここしばらく多事多忙ということで、一条家で寝泊まりするがよい。あの男とは無関係ということを知らしめるのだ」
若松は、近々、朝廷で何か大きな動きがあると察した。
「それに幸之助が巻き込まれでもしたら、姫が悲しむ」
一条はポツンと言った。若松は一条の顔を覗き見た。眉をひそめ、何事か考え込んでいるようだった。幸之助の名前を出したのは、冗談でも何でもない。若松は悟った。
「明日のことは分からぬ時勢だ」
一条が扇子を開く。仰ぐでもなく、開いたままの扇子をじっと見つめている。
「だがこれだけは云える。ここ半月ほどの間、何度か帝(孝明天皇)にお会いしたが、帝は三条の行動を少しも喜んではおられぬ」
若松は一条の屋敷に泊まり込み、純一郎は着替えなどを届けに伺ったが、勝子姫にお会いする機会はなかった。
若松は純一郎に、丹羽から手紙が届いたらすぐに焼き捨てるよう言いつけられた。
特に丹羽から手紙が届くことはなく、一条邸を訪ねる度にそれを義父に報告した。
こうして1863年(文久三年)八月十八日が訪れたのである。
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