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藤色の季節
酒でうっすらと靄がかかった意識の中に、各務と島田の声が響く。
議題は隣の市にある駅舎の改修について。
同じ議題をもうかれこれ一時間はこね回している。
私も初めの二十分ほどは相槌を打ったりしていたが、だんだんそれも疲れてきて、部屋の隅に横になったまま各務の本棚をぼんやりと見上げていた。
私たち三人が集まる時には、地理的にちょうど真ん中にある各務のアパートに転がり込むのが常だった。
時計はもう深夜零時を指そうとしている。まだ週も半ばだというのに暢気なものだ。人生の夏休み、なんて言葉が脳裏を通り過ぎてゆく。
熱を持ち始めた春の風が、カーテンを静かに揺らした。ここに来て二度目の春は、退屈なまでに穏やかだ。
授業やレポートにはもう随分慣れて、適度に手を抜くことを覚えた。
サークル活動も、畑が会長に、島田が副会長に昇格した以外何も変わるところはなかった。懸命な勧誘の末何とか手に入れた新入生の足は早くも透けかかっているし、津山も福本もなんだかんだ毎週火曜日にはサークル室にいる。あまりに変化がないものだから、いまだに皆津山を会長と呼ぶくらいだ。
瞼の重みに抗うのすら億劫になった私の視界に、黒い幕がおりてゆく。
「おい、西上、ここで寝るなよ。お前明日二限から授業だろ」
島田の声で目を覚ます。いつの間にか眠っていたらしい。どれだけ寝ていたのか、と時計を見る。三十分ほどしか経っていない。
私は目をこすりながら体を起こした。島田はもう立ち上がってコートを着ている。議論が一段落して帰ろうという段になって、私が離脱していることに気づいたらしい。
私は島田の向こうにある写真を見て、ずっと言う機会を伺っていた用件を思い出した。
写真の中では、各務と恋人が肩を寄せ合って笑っている。各務の隣にふさわしい、華やかな美人だ。
「ねえ、N駅近くの公園に良い感じの藤棚があるんだけど、今週末写真撮りに行かない?」
「お、いいね。晴れるかな」
各務はそう言ってテレビをつけた。
「週末って、土曜? 日曜?」
「どっちでも良いよ。島田はどっちが良い?」
「どっちも微妙なんだよな。でも、藤だったら来週だと遅いだろうから、そっちで決めた日に行けたら行くわ」
「僕は土曜日が良いな。まあ、天気次第だけど」
テレビの中では、お笑い芸人らしき男女が談笑している。どこも天気予報はやっていなかったらしい。
「じゃあそうしよう。駅に一時集合で良いかな。島田は、来れるかどうか朝にでも電話して」
「了解。じゃあ俺もう帰るわ」
「ん、お疲れ」
島田がドアを閉めたのとほぼ同時に、テレビがニュースに切り替わるのが聞こえた。
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