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目覚まし時計よりも先に、電話のベルが鳴る。
『ああ、やっと出たか』
島田の声だ。
「まだ寝てたんだよ。今日、駄目なの?」
『そうなんだよ。悪いな』
「了解。良いのが撮れたら見せるよ」
『おう。楽しみにしとくわ。じゃあな』
「じゃあ」
受話器を置いて時計を見る。目覚ましが鳴るまであと五分だ。アラームを解除して、大きく伸びをした。
準備を済ませて部屋を出る。
空は快晴。カメラも念入りに点検したし、フィルムも十分持った。後は藤が散ってさえなければ完璧だ。
駅に着いて周りを見回してみるが、各務の長身は見えない。まだ待ち合わせ時間まで二十分近くあるのだから当然だろう。
通りが見えるベンチに座って、彼を待つことにする。
ふと、各務と二人だけで遠出(という程でもないが)するのは今日が初めてだということに気づく。果たして間が持つのかどうか、些か不安になってきた。
改めて考えると、一年以上の付き合いとはいえ、私が各務について知っていることはそう多くない。いつも何となく一緒にいるが、話すのは鉄道のことか、日常の些事ばかりで、個人的な話などほとんどしない。鉄道以外に共通の趣味や話題があるのかどうかさえ、よくわからなかった。
植込みのつつじに、アゲハ蝶がとまった。練習のつもりで、1度シャッターを切ってみる。
もう一枚、と思ったところで、蝶は飛び立ってしまった。
「ごめん、待たせた?」
聞き慣れた声に顔を上げる。各務が来たらすぐに気づけるようにここを選んだはずなのに、蝶に気を取られていて、全く気が付かなかった。
「僕が早く着きすぎただけだから。島田はやっぱり来れないって」
「そうなんだ。じゃあ、一本早い電車に乗れるかな」
「そうだね。行こうか」
ちょうど、次の電車は五分後だった。
ホームでは、扉の位置に短い列ができていた。
「結構混んでるね。休日の下りなんていつもガラガラなのに。今日は何かあったっけ」
「これくらいの時間はこんなもんじゃない」
「そうかな」
各務はまだどこか怪訝そうに首を傾げた。
結論から言えば、各務の方が正しかった。
二十分ほど電車にゆられてN駅に着いた私たちは、件の公園に立ち並ぶ屋台と人ごみに面食らうことになった。
駅舎の壁を見ると、「藤まつり」と書かれたポスターが貼られている。どうやら地元ではそれなりに名の知れた祭りであるらしい。
完全に私の下調べ不足だ。
「ごめん、これじゃ写真どころじゃないね」
「そんなことないよ。ほら、あの坂の上あたりから撮ったらさ、祭りの様子も入って丁度良いんじゃない」
各務はこともなげにそう言って微笑んだ。彼が私を気遣ってそう言ったのだろうことがわかって、私は図々しくも、それをどこか寂しく感じた。
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