藤色の季節

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 各務の言に従って、二人でゆっくりと坂を上る。穏やかな陽気、子どもたちの声、ソースと砂糖の混ざった匂い。全てがあっけらかんとして明るく、私はなぜだか自分がここに相応しくない存在のような気がして、いたたまれないような気持になった。 「どのあたりがいいかな」  坂の一番上に着いた各務は、ファインダーを覗きながら位置決めを始めた。私も下界を振り返る。  確かに、高台からファインダーを覗くと祭り会場が一望できて、中々面白い写真が撮れそうだった。  藤棚を上から見ても花が写らないだろうと思っていたが、三つある藤棚はどれも低い築山のようなものの上にのっているから、高い位置からでも問題なく見える。  これが桜だったらこの場所にも人が押し寄せてくるのだろうが、今は時折人が通り過ぎるのみで、ここに腰を落ち着けて藤を見ようというのは私たちだけのようだった。藤というのはただ花を見るだけにしては地味な存在らしい。  私たちは祭りの様子を二、三枚写真に収めると、地面に座り込んで次の電車を待った。  陽の光に温められた風に乗って、屋台の呼び込みの声や子どもたちの歓声が耳に届く。  すぐそばにあるはずの喧騒が、なぜだかひどく遠く感じた。 「綺麗だね」  各務の視線は、公園の中央にあるひときわ大きな藤棚に向いている。 「こんなにたくさん藤棚があるのも珍しいよね。ましてや祭りがあるなんて」 「折角だし、帰りにちょっと屋台に寄って行かない?」 「そうしよう」  他愛ない話をしているうちに、電車が来る時間になった。  二人そろってカメラを構える。  私としてはアングルに特別不満はなかったが、各務はそうではないらしく、電車が過ぎ去った方を見て首を傾げた。  それでも続く二本はそのまま撮影していたが、二本目の電車が見えなくなると、焦れたように立ち上がった。 「やっぱりなんか思ってたのと違うな。次は十五分後だよね。ちょっと場所探してくる」  付いて行こうかとも思ったが、何となく一人になりたそうな気配を察して、私はここから動かないことにした。  正直なところ、同好会メンバーたちの写真にかける情熱にはついていけない部分もあるし、向こうの方でもそういう私の態度に気づいているらしかった。  話し相手をなくして暇になった私は、いつも持っている文庫本を鞄から取り出す。十ページほど読み進めたところで、シャッター音が鳴ったのに気づいた。  各務が戻ってきたかと思って顔を上げたが、彼の姿は見えない。代わりに、少し離れたところに制服姿の少女が立っているのに気づいた。おそらく中学生だろう。彼女の手には、使い捨てカメラが握られている。  最近の女子中学生はカメラを持ち歩いたりするのか、と妙なところに感心する。  私は再び文庫本に目を落とした。
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