26人が本棚に入れています
本棚に追加
青春の日々
各務と私が出会ったのは、大学の鉄道同好会だった。
大学のサークル棟の端にあった、埃っぽい小さなサークル室に各務が入ってきた時の先輩達の顔は忘れられない。多分、私も彼らと同じ顔をしていただろう。
「鉄道同好会ってここですか」
そう言った彼はまるで、おとぎ話の世界から抜け出してきた王子様のようだった。
日本人離れした色素の薄いウェーブがかった髪に、彫りの深い整った顔。一八〇を超える長身。ハスキーがかった甘い声。
金ボタンのついた黒のダブルのコートが、妙に板に付いていた。
どう見ても、このサークル室には最もそぐわない類の人間だ。
先輩達と私は、無言で顔を見合わせた。
「もしかして僕、部屋間違えました? 入り口に貼ってあったポスター見て来たんですけど」
彼のその声に、慌てたように会長の津山が立ち上がった。
「ああいや、間違ってないよ。ごめん、ちょっとびっくりして……。ええと、入会希望、かな」
「はい。経済学部一年の各務です」
「各務君か、来てくれてありがとう。そこに座って」
津山はそう言って私の隣を示した。
二十分ほど前に部室に入って、新入生として先輩部員達に歓待されていた私は、躊躇いながら彼と目を合わせた。
「君も一年?」
こちらに向けられた彼の微笑みに、私はどぎまぎしながら頷いた。
「うん、そう、社会学部の西上、です」
よろしく、と言ってもう一度私に微笑むと、各務は前を向いた。
各務は同じ一年生にしてはひどく落ち着いて見えて、ついこの間まで高校生だったなんてとても信じられなかった。
本当に彼が私より、いや津山よりも年長だというのが分かるのは、しばらく後のことだ。
「ええと、じゃあ、改めてこの同好会の説明をします。あ、僕はここの会長で、理工学部三年生の津山です。まず、これが一応うちの機関誌」
津山は、さっき私に手渡したのと同じ冊子を、各務の前に置いた。
「うちは三年前に僕が立ち上げた同好会で、会員はここにいる五人だけ。三年生が二人、二年生が三人。後で自己紹介してもらうから」
周りにいた四人が、津山に頷く。
「この同好会の主な活動は、週に一度ここに集まって鉄道について語り合ったり、情報を交換することなんだけど、まあ、実際にはただ集まってだらだらするだけだね。あとは、集まって鉄道で出かけたり、写真を撮ったりすることもある。それで、そういう活動とか個人の趣味とか、とにかく何でも鉄道に関係することを、年に一回この機関誌にまとめる。それだけのゆるい会だから、ぜひ気軽に入ってほしい」
私にしたのとそっくり同じ説明を終えた津山は、ほっとしたように小さく息をついた。細身で気弱そうな見た目に違わず、新入生に活動内容を説明するというだけのことでも緊張する質らしい。
一呼吸おいて、それじゃあみんな自己紹介して、と津山が言いかけたとき、突然各務が、壁に貼られた一枚の写真を指さした。
「あれ、K線の貨物ですよね。いいなあ、一回見ておきたかったんですよ」
その言葉で、先輩達の視線が一斉に各務に集まった。
「よく知ってるね。特別な線でもないのに。もしかして地元?」
私の斜め向かいに座っていた恰幅の良い男、二年生の畑が答えた。彼の前には、高そうなカメラが置かれている。
「いや、全然。僕、旅行先で客席から貨物を見るのが好きなんですよ」
先輩達が、感心するように嘆息を漏らした。畑は丸眼鏡の奥の目を嬉しそうに細めた。
「うーん、良い趣味だなあ。僕は専ら撮り鉄で、田舎の廃線間近の路線なんかを撮るのが好きなんだよね。でも、さすがに貨物はあんまり撮らないなあ。この線は僕の地元の線でね、たまたま撮っただけなんだ。その時のアルバムが確かその辺にあるんだけど、良かったら見る?」
「是非見たいです」
各務が即答すると、畑は自分の後ろにある棚から一冊のアルバムを取り出した。それを広げると、彼だけではなく他の先輩達も口々に写真の講評やらK線の蘊蓄やらを語り始めた。各務の方も、先輩達に負けじと貨物の魅力なんかを話すものだから、先輩達は棚から次々とアルバムやスクラップブックを並べてゆく。
私はほとんど話について行けず遠巻きに見ているだけだったが、決して退屈ではなかった。各務はついさっきこの部屋に入ってきたばかりだというのに、みなもうすっかり打ち解けた雰囲気だった。
この「活動」は、警備員に部屋を追い出されて、津山の部屋で夕食をご馳走になる間も続いて、結局解放された頃には零時近かった。
このままでは入学早々一限をすっぽかす事になるかもしれないと思いながら、人気の無い夜道を歩く。道の途中で先輩達が一人また一人と別れていって、最後は私と各務だけになった。
無言で歩くのも気まずく、かといって話すべき話題もなく、横目でちらりと各務の顔を窺う。
「西上君はどうするの、入会」
次の角を曲がればアパートに着く、というタイミングで、各務が突然口を開いた。向こうから話しかけてくるとは思わず、驚いて各務の顔を見上げた。各務は澄ました顔で、正面を向いたままだ。
「ううん、どうしようかな、迷ってる。各務君は入るんでしょ。もう会員みたいだもんね」
正直なところ、私の鉄道好きというのは、せいぜい電車旅が好き、というくらいのもので、各務や先輩達のようなマニアには到底なれそうになかった。
「まあ、そのつもりだけど。でも、一年生が一人っていうのはちょっと心細いな。僕としては、西上君が入ってくれると嬉しいんだけど」
各務はそう言って私に顔を向けて、ちょっと困ったような、弱々しい微笑みを見せた。彼が私にそんなことを言うのを意外に思った。
「そう、じゃあ、入ることにしようかな。掛け持ちもできそうだしね」
その言葉とは裏腹に、各務の顔を見た時には、同じ学部の友人から薦められたテニスサークルを見に行ってみようか、などという考えはすっかり雲散霧消してしまっていたのだった。
最初のコメントを投稿しよう!