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 九十九折の坂道を軽快に走っていると右前方の視界が急に広がって屋根付きの見晴台が見えた。家を出て四時間ほど休まず愛車を走らせたので、ここらで一休みさせてやるか。何せ親父から受け継いだ年代物なのだからいたわらねばならない。  スピードを落とし見晴台の近くにバイクを止めた。エンジンを切ってタンクをポンポンと叩いて降りる。有難うの意味を込めた俺とバイクの儀式だ。  ホンダ・CB750Fインテグラ、1982年製、空冷4ストロークDOHC4バルブ並列4気筒、748cc、70PS/9000rpm。俺はこのバイクをこよなく愛している。  見晴台から柵の先端まで歩いていった。なるほど、ここからの眺めは絶景だ。お目当ての渓谷が一望出来る。谷から吹き上がる風も心地よい。しばらく景色を堪能して見晴台へ戻った。腹の虫が鳴いたので、リュックからコンビニのおにぎりとミネラルウォーターを取り出した。時計で確認すると十二時十分前、俺の腹時計は正確だ。ベンチに座りおにぎりを袋から出していると道路の反対側の斜面がカサカサと揺れた。何かが動いている。熊だったらヤバいな。警戒していると雑木の枝の上で一匹の猿がこちらを窺っていた。猿は群れで行動するので用心深く辺りを見回したが他の気配は無いので安心した。  猿が雑木から下りて道路を横切り俺の十メートルほど手前でチョコンと座った。野生にしては行儀のよい猿だ。  よく見ると痩せたオス猿で毛は所々抜け落ち肌が露出している。怪我をしている。メスにチョッカイを出しボス猿に追われたのだろうか。ボスの座を争うほど気概のある猿には見えない。それにこの様子では数日間何も食べていないかも知れない。俺は袋から出したおにぎりを猿めがけて転がした。猿は手に取ると貪り食う。食べ終えると足元へ寄ってきて「キキーッ」と鳴いた。お礼を言っているのかと思ったが、どうやら残りのおにぎりをせがんでいるみたいだ。仕方なくもう一つあげた。ミネラルウォーターの蓋を開けて渡すと器用に飲む。結局最後の一個も猿にとられてしまった。  これで昼飯抜きだ。  猿は「キキー、キキー」と鳴く。多分お礼を言っているのだろう。  俺は「元気で暮らせよ」と言ってバイクに跨った。エンジン音が体全体を微かに震わす。この感触と音がたまらないのだ。ローギアにしてクラッチをゆっくり外すと静かに滑り出した。ミラーに俺を追う猿の姿が映った。  心の中でもう一度元気で暮らせよと言った。
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