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これまでのこと
街の喧騒が聞こえる。少し開いたベランダの窓の隙間から人の笑い声やバイクの音とか。誘惑のまどろみの中、ゆっくり目を開くと、棚引くカーテンの隙間をぬって朝の陽光が街の喧騒に混じって忍び込んでいた。どうやら僕はそのまま少し眠っていたらしい。目を擦って、付けっぱなしのデスクスタンドを消すと、明かりの灯るPCに目を落とす。
提出期限が迫る、民事訴訟法の書きかけのレポートが画面上に躍る。最高裁判所民事判例集を読みながらテーマの問題点を洗って、書きまとめていたが、そこで終わっていた。
昨夜の間に作業を終えてしまおうと思っていたが、疲れが溜まっていたのか…。
「ひび…き? 響?」
部屋の中を見回しながら、響を探した。
「理? さ~と〜る? もう! 朝起きたら、私に言うことがあるでしょ?」
「言うこと?」
「愛してるって言ってよ! 約束したでしょ!」
これは付き合った時に最初に僕達の間で決めた約束だ。
「響?」
僕はキッチンに向かってそう言った。
朝起きると、必ずキッチンから響の鼻歌が聞こえる。リズミカルに包丁を動かす音。歌うように、じうじうとフライパンで何かを焼く音も。
響はとても料理が好きだった。
「理? お~い聞いてる? 理ってば?」
「どうしたの?」
いつか、玄関から朝刊をとって戻ってきた僕に響はこう言った。
「私の得意な料理はなんだと思う?」
出し抜けに声をかけられ、僕は返答に困った。響の得意そうなもの。快活とした彼女の性格からして、なんでも簡単に作ってしまいそうだったが…。
「肉じゃが?」
「ブ~! 答えはスクランブルエッグでした~」響は「えへへ」と可愛く笑った。
僕は彼女と同棲を始めたばかりの二日目の朝、始めて響の得意な料理がわかった。
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