0人が本棚に入れています
本棚に追加
撃たれた足に魔力を集中させる。傷は即座に治癒し、地面に散らばった肉は大気中のマナへと還った。僕を認識した黒服たちが一瞬、動きを止める。
この機を逃す手はない。
「新たな不老不死個体を発見」
「捕獲しますか、破壊しますか」
「承知。命令を遂行します」
上役からの指示を得た黒服がようやく動き出す。ざまぁ見ろ。手遅れだ。黒服の間を走り抜けた僕は、主を縛っていた縄を噛みちぎった。
「サンキュ。マオは引っ込んでろよ」
了承を伝え、一つに結わえた髪が揺れる大きな背中を見つめる。時間稼ぎで彼が捕まるのも、僕が作戦完了の合図をするのも予定通り。後はこの監視役を蹴散らすのみ。
主が魔力を放出する。刀を召喚し、即座に抜刀。切っ先を黒服へ向けた。
「交渉の真似事くらいしようや。俺ぁ、体液くらいなら提供してやってもいいんだが」
鷹揚に刀を掲げた主が声を張り上げる。何を言ってるんだ。さっさと斬っちまえ。
「我らの目的は不老不死の解析と全人類への応用。体液の提供だけでは我らの研究は完成しません。貴方の全てを提供してください」
「具体的には何よ?」
「全てです」
「あんたらの研究所は拘束した魔力保持者を死ぬまで切り刻むって噂がある。ダンマリ決め込むなら肯定と受け取るが」
主が一歩踏み出す。葉のさざめく音がひと際大きく響いた。黒服は応えない。
「……残念だ」
主が刀を鞘に納めた。黒服はマシンガンを構える。
マシンガンが地面に落ちた。
黒服は無惨に切り刻まれ、金属の破片とコードが地面に転がっている。魔力を乗せた居合切りで一閃。初手で黒服の腕を切り落として自身の安全を確保した主は、続けて精密な部品が組み込まれている頭部へ刀を振るった。人間が回収した際に最も修理費がかさむ壊し方だ。おそらく修理するのも新しく作るのも、かかる費用は大差ない。
「ったく、趣味悪ぃデザインだな」
口をへの字に曲げた主は血振るいをして納刀した。血なんかついていないのに。スーツを着た人間型のロボットを一瞥し、辺り一体に淡く魔力を漂わせる。魔力を利用して切り刻んだ部品を元の形に並べるつもりらしい。
どうして黒服に優しくするんだ。今まで追いかけられて殺されかけたのに。納得いかなくて主の靴を踏んでいると、後ろから白い腕に抱えられた。
「ヤァ、刀使い。相変わらず惚れ惚れする腕前だね」
「マオを抱えるのはやめろ、炎つか──」
轟音に主の声がかき消された。
炎使いの腕の中で体を捩る。研究所が爆発していた。脱出した魔力保持者が惨状を伝えた研究所。魔力が尽きれば僕たちは死ぬ。魔力が尽きなければ僕たちは死なない。それを不老不死と勘違いした愚かな人間が、魔力保持者を──僕たちの友人を粗末に扱った研究所。
主が監視を引きつけている間に炎使いが研究所へ侵入し、魔力保持者を逃がす。炎使いの侵入成功を僕が伝えたら主は撤退。そういう作戦だった。この爆発は、なんだ。
「研究所には魔力の残滓しかなかった」
僕を抱えたまま炎使いが呟く。残滓しかなかった? 魔力保持者が生きていればそこに膨大な魔力の気配がある。そんなはずはない。
「……死んだのか、全員」
「ちがうよ、刀使い。みんな殺されたんだ」
炎使いの腕から飛び降り、高い木を駆け上がる。
「マオ!」
燃え盛る研究所から逃げ出した人間が醜い顔を晒して空中を殴っていた。黒服のロボットにも殴らせている。彼らを阻むのは魔力で編んだ透明の壁。炎使いがつくったものだろう。人間には見えまい。
背後から迫り来る炎を見た人間が何やら叫びながら、黒服を殴った。別の人間は座り込んで泣き出す。正常な判断ができる頭は残っていないらしい。
研究所を爆発させ、逃げ道も残さず、骨まで焼き尽くす。
鮮やかな怒りから描かれた凄惨な復讐劇。人間を許さないと、炎使いが自らの傷ついた心を曝け出した光景だった。
「ヤァ、炎使い。相変わらず惚れ惚れする腕前だな」
主は炎使いを嗤った。嘲笑をものともせず、主と箒を並べて空に浮かぶ炎使い。研究所を見下ろすその眼差しは、苛烈な炎と煌めく火の粉を生み出した者とは思えぬほど、ただ、冷たい。
魔力で編んだ小さな火の玉と戯れながら、彼は主に問うた。
「刀使い、君ならどうした」
「研究資料を灰にして終わり。命は取らねぇな」
「怒りはないの」
「やめたよ。何百年も前に怒るのはやめた。疲れちまうから」
「……ボクにはできない」
「そうかい」
炎の勢いは衰えない。轟々と燃え盛り、炭になり、塵となった研究所は焦げた匂いを風に乗せてここまで運んでくる。迫力満点。だけど、気に入らない。
木の枝を蹴って主の膝へ飛び移る。
「マオ」
飽きた。
「マオ」
「君の友人は千年生きた猫なんでしょ、好きにさせたら」
「……わぁってるよ」
炎使いに諭されて不満げに膨らんだ頬をペロリと舐める。主が呆けている間に魔力を大気中のマナへ送り込んだ。待つこと三秒。
上空に現れた黒い雲が、滝のような雨をもたらす。
研究所の炎は鎮火。炎と壁に挟まれていた人間は抱き合って無事を喜んでいる。傍らには動かないたくさんの黒服。耐水性能が搭載されていたはずだが、滝行には耐えかねたか。
彼らを阻むものは取り囲む壁だけ。魔力切れで壁がほどけるのが先か、餓死するのが先か、他の原因で死ぬのが先か。運が悪ければ人間同士の殺し合いが始まり、運が良ければ外部からの助けが来る。上空からであれば壁内の人間も拾えるだろう。
怒りを捨てられるほど老いていない。怒りから炎を生み出すほど若くはない。でも、人間は憎い。さっさと滅べ。魔力保持者の関係ないところで。願わくは自滅しろ。
魔力の炎で灰になるより、ずっと面白い。
「猫さん、人間を助けたわけじゃあなさそうだね」
もちろん、とひとつ鳴く。炎使いは箒で一回転。軽やかな笑い声が夜空に響いた。
「趣味の悪い友人はあまり持つもんじゃないよ、刀使い」
「お前が言うなよ、放火犯」
軽口を聞きつつ主の太腿の上で体を丸めた。尻尾を揺らして硬い手のひらを探す。今日はあちこち動き回って疲れた。たくさん撫でてほしい。
最初のコメントを投稿しよう!