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俺はコンサート会場を出て一旦立ち止まる。スマートフォンの予定表を眺めながら次のレッスンの日程を確認する。
――あー……今年最後のレッスン終わったらもうすぐ同窓会があって、会社の忘年会来たらもう年明けるじゃんっ! 早いなあー。
押し寄せて来る年の瀬を嘆いていてもしょうがない。中学の同窓会を開こうと言った張本人は、この俺だ。
同窓会と言っても、何人かに声をかけて有志が集まる程度のものだ。昔話に花が咲くかどうかはわからないけれども、俺の目的はとにかく「ピアノを始めた」――それさえ伝わればいいと思っていた。
発表会の日まで残り一ヶ月余りになった。社会人の過密スケジュールは言うまでもなく、日に日に練習する時間は削られていく。しかし大分ピアノには慣れてきた。
今日のレッスンを含めてあと四回。俺は先生の的確なアドバイスを聴きながら演奏に励んだ。
「そこのメロディーは、夢見るようになだらかに――醒めるところはスタッカート強めに」
先日、先生のリサイタル会場で例の男に会ってしまっただけに焦る気持ちはあった。発表会が終わったあとも、レッスンが終わったあとも、ずっと先生と一緒にいたい。
――っ!?
そんなことを考えていたら弾き終わる一歩手前で一音外してしまった。
「あーいいところだったのに……」
「惜しいね。なんか集中力切れちゃった感じかな。少し休憩する?」
先生は悔しがる俺を見て、優しく声をかけてくれた。
「そうですね……」
先生のお言葉に甘えて素直に受け入れた。だが、どうしても訊いておきたいことがあった。一呼吸ついて話す。
「先生……実はこの間のリサイタル会場で、偶然先生の学生時代を知る人に会いました。あの人ちょっとストーカーじみたこと言うから、俺もつい口が滑ってしまって……その――」
訊きたいことを言う前に先生が食い気味に返答する。
「僕のことなにか言ってた……?」
先生の声色がいつもと違って不穏な雰囲気になる。
「昔と演奏が変わった……って言ってました。それで、俺は先生のこと後悔させたくないって言い返しました。先生は今でもあの人から連絡が来るんですか?」
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