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いつもどおり
スケッチブックの上を鉛筆が走る。さらさらと紙と擦れる音の上に、スマホから直に流している軽快なピアノジャズが重なって、今日も気分は絶好調だ。
数分で白紙の上に浮かび上がったのはテーブルとスツールが2脚。余計なものを削ぎ落としたシンプルなデザインに、今度は青いボールペンで形状、色、材質といったデザイン画だけでは読み取れない情報を書き足していく。
すべて記入し終えたそのページをビリと破り取ってテーブルの余白を探した。視界のどこにも空いている場所がないことに気がついてようやく顔を上げたところで、額にぺたりと前髪がひと房張り付いていることに気がついた。
「あ、描きすぎた、」
「……ようやくですか」
「っ!、桂くんか」
思わず漏れた独り言に返事が返ってきて、肩が跳ねた。誰かを認識したその一瞬で、驚きよりも申し訳なさが優った。振り返ってごめん、というと桂くんはいつも通りです、と何も気にしていなさそうな調子で答えた。実際気にしていないのだろう。特に私相手に、そういったところでくだらない気遣いを見せる人間ではない。
打ち合わせ用の小さな会議室を占拠する、やや大きすぎるテーブルには所狭しとスケッチブックの破片が置かれていた。そのどれもに家具が描かれていて、テーブルの向こうのホワイトボードには今回の依頼主であるカフェの名前と要望が書かれていた。
「声かけてくれたらよかったのに」
「かけましたよ、かけたけど聞こえてなさそうだったから出直してきたところです」
「それはほんと申し訳ない」
「お互い様ですよ、というか時間」
そう言われてふと時計を見る。一応の終業時刻を30分ほどオーバーしたところだった。とはいえこの事務所に終業時刻などあってないようなものだ。
開けられたドアの向こうからは、まだ人が作業をしている音が聞こえてくる。けれど今日は金曜日。絶対に帰ると二人で決めている日だった。
「今日は帰りますよ」
「わかってるー」
夜ご飯はどうしようだとか、帰ったら何を観ようだとか、くだらない話をしながら散らかしたスケッチブックを集めて並べる。描いた物ごとに分けて並べて、これ出してからでもいい?と桂くんに聞いたら、出すだけですよと苦笑しながら頷かれた。
・・・・・・・・・・
「手は?」
「今日はだめでーす」
「んじゃ荷物持ち」
「それは助かる」
二人で事務所を出て車までの道を歩く。建物の真裏にある駐車場には、大荷物だと建物の間を通り抜けられなくて、遠回りにぐるっと回っていくのも金曜日のお決まりだった。自分の荷物は先に車に運んでおいたのだろう、コンビニの袋だけをぶら下げた彼に大人しく鞄をひとつ預ける。そのまま済し崩しに左側に持っていた荷物を全部取られてしまって、代わりにコンビニの袋を渡された。
中をのぞくと缶コーヒーが2つ、これもまた、桂くんが早く終わったときのお決まりだ。私が早かったら同じものが私から桂くんへ。受け取って持ち直したその拍子に、かつんと2つがぶつかった。
「藍佳さん」
「ん?」
「今日実は、まだ仕事したかった?」
「ばれた?」
「いつもより楽しそうだったし筆乗ってたし。ごめんね」
「いーのいーの、金曜日だし」
そう、金曜日だから。こうでもしないと仕事以外で二人がそろう機会など無いかもしれないのだから。
「だから代わりに二人とも仕事持ち帰るじゃん」
「まぁ確かに」
車が見えてきたところでちらりと隣の顔を見やる。夕日を受けたその横顔からは、私たちのこの現状に何を思っているのか読み取ることができなかった。靴の裏でざり、と石が擦れる音がする。
「マサ」
「ん?」
「お酒買って帰ろ」
「そりゃあもちろん」
「その前にドライブで」
「それももちろんいいっすよ」
車の後部座席に荷物を投げ込む。退勤して帰る前に一服といったところなのだろう、2台先の車に寄りかかる同僚にお疲れと声をかけて車に乗り込む。毎週繰り返されるこんな日を、どうかいつまでも大切にできますようにと、毎週金曜日が来るたびに祈るのだ。
〈いつもどおり fin.〉
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