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1. 実験中止
俺は他人と感覚を共有する装置を発明した。
実験開始。
だが、わずか5分で中止となった。
赤が黄色で、黄色が青い。
花は臭くて、そよ風が痒い。
俺と相手とで、すべての感覚がズレていたんだ。
実験結果。
人は誰もが、違う世界に生きている。
(110文字)
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【作者註】
SFです。
散歩しながら思いついて、音声入力でメモを取ってみました。
以下に転載しますが、内容はさほど変わっていないようです。
「身体を入れ替える機械を発明
他人の身体に入る
赤が黄色で、黄色が青で、花は臭くて、そよ風が痛い。
あわてて元の体に戻ったよ。
みんなそれぞれ別世界に生きている」
つまり、同じ「赤い薔薇」を目の前にしても、体を入れ替えればまるで違って見える可能性がある、ということです。
私には赤に見えている色が、あなたには青であるかも知れません。誰かの黄色は私には緑かも知れない……ということですが、分かりにくいですね。
元ネタがいくつかありまして、ひとつは聞きかじりですが、「盲目の方が後天的に視力を得ても、他の人のようには見えていない」という話です。
距離感がつかめないとか、見たものが全て平面的に見えるとかだったと記憶していますが、とにかく何らかの齟齬が生じるようです。
だったら、他の人の身体に入ったとして、五感すべてに狂いが生じることもあるのではないかと考えました。
もうひとつは芥川龍之介の「侏儒の言葉」です。
たしか、「火星人や金星人がいたとして、我々に見えるとは限らない。光の波長が違うかもしれないじゃない?(中略)だから案外、火星人は君の目の前で銀ブラと決め込んでいるかもよ」と、いうようなことを書いていたと思うのです。
……嘘でした。(確認してきました)
まあ嘘じゃないのですけど、不正確に過ぎました。
以下、「侏儒の言葉 『火星』」より抜粋。
「火星の住民の有無を問うことは我我の五感に感ずることの出来る住民の有無を問うことである。……(中略)……彼等の一群は今夜も赤篠懸を黄ばませる秋風と共に銀座へ来ているかも知れないのである」
およそ100年も前に「文藝春秋」で連載されていた「侏儒の言葉」ですが、意外とSF的なことも書かれています。
私の作品はまだまだ遠く及びません。
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