炭鉱のカナリア

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 その後も宮本がいる時に限ってカナリアが鳴くので、俺は極力宮本と距離を置く様にしていた。  先日の飲み会でアドバイスをくれてやった新人が退職したりもしたが、仕事は相変わらず順調に進んでいった。  この頃はもう、カナリアに頼らなくても仕事で俺に敵うものは無くなっていたし、あの上司もいつ俺が出世をして抜かれるかと戦々恐々としている様だった。  だが同時に、俺はこの程度の会社で収まる器ではないと感じ始めてもいて、労働力を会社に搾取されるくらいなら自ら会社でも起こそうかと考える様になっていた。  そしてそれは態度にも自然に現れるのか、自信のある態度で接すると殆どの人間は俺に敬意を持つ様で、仕事もしやすくなってきていた。  そんな日が続いた風の強いある日、俺は新規の大型契約を取付けるために都内の会社に足を運んでいた。  現在外壁の修繕中でその姿は足場が組まれていて殆ど見えないが、名前を聞けば誰でも知っている有名な会社だった。  この契約が取れれば今期も営業成績トップは俺に違いない。  吹き付ける風を追い風にして、意気揚々と会社のロビーに靴音を響かせて戦場へと向かい、順調に話を進め契約を締結する。  気持ちのいい達成感を胸に会社から出た時、久しぶりにカナリアの鳴き声が聞こえた。  それは今までに聞いたことのない程の大きな音で鳴り続け、思わず耳を塞いでしまいそうになったその時だった。  誰かとぶつかったのか地面に倒れ込む。  ふざけるなと文句を言おうかと睨みつけると……女だった。  それも見たことがないほどの美人でスタイルも良い。  俺のすぐ側で倒れたままの彼女に声をかけようとすると、突如さっきまで俺が立っていた場所のすぐ側に、外壁修繕用の足場が強風で崩れ落ちてきた。  耳をつん裂く様な無数の金属音がビジネス街のビルの合間に反響してやがて静かになる。  不幸な事に若い男が巻き込まれて下敷きになったらしい。  幾重にも重なる鉄パイプの下から、じわじわと真紅の液体が広がってくる。  数多の悲鳴が耳を揺らす中、もしもこの女がぶつからずにいたらと思うと、想像するだけで背筋が寒くなる。  カナリアの鳴く声が響き続けている。 「あ……、すみませんでしたぶつかってしまって、怪我はありませんか?……危なかったですね……すみません、私急いでいるもので失礼します!」  そう言い残し、ピンク色のハイヒールで駆け抜けていく彼女の姿に誰もが目を奪われていた。  声をかけられなかったのが悔やまれる。  突然の出来事に俺はしばらく呆然と座ったままだったが、カナリアの鳴き声はいつの間にか鳴り止んでいて、遠くからサイレンの音が近づいてきた。  ふと左手にあたるものに気がつき手に取ると、可愛らしい柄の手作りの布カバーがされた女物の手帳だった。  悪いと思いながらも中を覗くと、何枚か使用済みの証明写真のシートが挟まっており、裏表紙に名前と連絡先が書かれていた。  スケジュール帳には料理教室、ジムなどの予定が女らしい可愛らしい丸文字で几帳面に書き込まれている。  証明写真には先ほどの美女が微笑を浮かべて映っていて、気がつけば俺はその笑顔に心を奪われてしまった。 「藤野 千明(ふじの ちあき)さん……か」
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