2832人が本棚に入れています
本棚に追加
40.自分を憐れむのはおよしなさい
知らなかった設定が出てくるのは、ここが現実だから当然ね。小説はその一面を記した記録に過ぎない。ならば、裏に事情が隠れていてもおかしくないわ。物事には側面があるのが普通だもの。
そもそも兄が勇者という設定に無理があった。エルフが治める国に、人族が勇者だと名乗って顔を出したとして、彼らが受け入れるかしら。
あり得ないわね。人族や魔族は自分達より下等と見下すエルフが、人族の勇者を受け入れるわけはない。小説の中で、兄は利用されたのだわ。悪役となったリュシアンを陥れる役割を振られた。今回、兄カールハインツは、アルストロメリア聖国を訪れなかった。
話が狂ってしまったの。その穴埋めを、魔王ユーグが背負った。そう考えるとしっくりきた。いわゆる「強制力」でしょう。物語を決められた通り終結させるために、足りなくなった役割を魔王に当てた。悪役を悪役として記録するために。私はそれを崩していくだけ。
この世界のイレギュラーは、モブが転生者で権力ある立場だったこと。
「なんだよ、それ……じゃあ、俺との友情はあって、なのに裏切ったのか!」
いっそ友情がなければよかった。そうしたら騙された被害者として、一方的に魔王を恨むことも出来たのに。出会い方が悪かったのか。それとも自分の何かが足りなかったのか。迷路に迷い込むリュシアンを見兼ねて、私は口を挟んだ。
「失礼するわね。リュシアン、自分を憐れむのはおよしなさい。あなたはハイエルフで一番の圧倒的な力を持つ存在よ。持つ者は妬まれ、足を引っ張られる。自覚すれば、今後は敵を見極められるわ」
俯いたリュシアンの銀髪を撫でた。手触りがいいわ。これは後で日記にメモしておきましょう。小さく縦に振られた頭から手を離し、くるりと振り返った。
居心地悪そうな魔王ユーグへ、正面から向き合う。長く美しい黒髪に、真っ黒な瞳。魔力を使う時や感情が高ぶれば、瞳は赤く血の色に染まる。そう表現された魔王の表情は、迷い子のようだった。
「親友に恨まれても子どもを助けたかったのでしょう? あなたの願いは叶ったわ。もうリュシアンに望むことはないわね?」
最後通牒の形で現実を突きつけた。王としての責務を優先し、親友を裏切った。そこに嘘は何ひとつない。どんな言い訳をしても、リュシアンが傷ついた事実は変わらないの。そう言い放ち、彼の反応を待った。
現状で、魔国と呼ばれるバルバストル国に恩は売った。ここで話を終わらせて、いつか恩を返して貰えばいい。リュシアンが納得すれば、だけど。人の感情はそんなに簡単じゃないわ。
「私は、リュシアンに謝らねばならぬ」
「謝罪? 何を謝る気だよ。俺を騙してごめんなさい、それで済むと思ってんのか!? お前の気が済むだけだろ!!」
感情的に叫んだリュシアンを止めるために、私は間に立った。両手を広げ、彼がこれ以上の自傷行為を行わないよう止める。自らの拳でガラスを割る行為と同じよ。殴った拳が傷ついて、さらに割れたガラスで手を切るわ。
「魔王陛下、リュシアンは私が預かります。もう少し落ち着いてからお会いしましょう。これ以上は、双方の利益になりません」
進み出たエルフリーデが、リュシアンの手を引いた。抵抗するように突っ張った彼も、私がゆっくり首を横に振ったのを見て項垂れる。力なく歩く彼の姿が遠ざかったところで、ひとつ溜め息を吐いた。
「リュシアンが落ち着いたら連絡させます。それまで貸しひとつですわ」
「……承知した。彼を頼む」
「言われずとも。私の大切な友人ですもの」
作った笑顔を貼り付けて、優雅に会釈する。くるりと踵を返し、私は表情を引き締めた。この嫌味、彼に響いたかしら。
最初のコメントを投稿しよう!