出勤日の朝食

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 智穂が箸を止め、どこか懐かしむように目を伏せた。 「私たち、出会ってからそれなりに経っているのに、知らないことがいっぱいあるよね。今みたいに目玉焼きに何をかけるのかも知らないし、納豆が食べられるのかも知らない。蓮が朝食はご飯派かパン派かも知らないし――。ああ、でも」  顔を上げると智穂の顔にはニヤリ、という表現が似合う、爽やかとは正反対に属する笑顔が浮かんでいた。 「蓮の太腿の内側、際どいところにホクロがあるのは知ってるけどね。これは、裸をみたことがある人しか知らないでしょ」 「あのなぁ……」 「まぁ、冗談はさておき。――しばらく二人で暮らす間に、お互いのことをもっと知っていけたらいいね」  直球な言葉に、蓮が驚く。恋人ではなく、友達ですらない自分たちの関係。必要以上にお互いのことを知る必要はないはずだが、智穂はそれをしようと言う。  無邪気ともとれるその提案に、蓮は顔を赤く染める。  自分でも顔が熱いことに気づき、悟られないよう俯いてスマートフォンを覗き込む。 「……っと、食べれないものがあったら今のうちに聞いとく。献立の都合とかもあるし」 「うーん、そうだなぁ。これといって苦手な物は無いかな。あっ、激辛は食べれないよ」 「それはなんとなくイメージ通りだ。甘いもの好きだもんな」 「人並にね。後は特に無いかな。ピーマンも人参も食べれるし」  子供の好き嫌いのような例を挙げられ、思わずふっ、と吹き出してしまう。 「じゃあ激辛以外のメニューは食べられる、ってことでいいかな?」 「いいよ~。でも、今日から仕事でしょ? 疲れているのに無理にご飯作らなくても大丈夫だからね。掃除とか洗濯してくれるだけで、すごく助かるんだから」 「そこは心配するな。仕事で相当疲れた日や遅くなった日は、美味しい料理を買って帰るから」 「それなら安心した」  会話が弾む朝食。  こんなに楽しい二人での朝食は初めてだった。  お互い一人暮らしを始めて数年。朝食を摂らないことも多く、食べたとしても殆どの場合は一人だった。恋人がいたこともあるが、楽しく朝食をしたという記憶は無い。  二人は自然体で、この時間を楽しんでいた。 「おっと、そろそろ仕事に行く時間だ」 「えっ、もう?」  智穂がスマートフォンを見る。確かに無意識のうちに時間は過ぎていた。しかし、それでもまだ早い時刻だ。 「まだ6時過ぎだよ?」  そう言いつつ、蓮がいつも朝早くにマンションを出て行っていたのを思い出した。てっきり、寝ている自分に気を使っているのか、アパートに荷物なりを取りに戻っているのかと考えていた。  しかし、その必要がない今も朝早くに仕事に行こうとしている。 「さっさと会社に行って、朝の元気なうちにめんどくさい仕事を終わらせた方が捗るんだよ。残業なんて疲れるし効率悪いしでまっぴらごめんだ。それに今は意地でも定時上がりしないと、お腹を空かせた作家先生が待っているから」 「むっ。大丈夫だよ。遅くなったらなったで、自分でちゃんと食べるもの用意できるから」 「どうだか。――そうだ、言い忘れてた。昼ごはんに焼きそば作って冷蔵庫に入れてあるから、適当に腹減ったら温めて食べな」  その言葉に驚く。朝食のみならず、昼食まで用意してあるなんて――。 「えっ、なにその優しさ……。もうお母さんじゃん……」 「お母さんではない」
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