雨をすぎれば

　窓のほうに目を向けながら腕を組む北村さんは、悪戯を思いついた子どもみたいに、やんちゃな表情をする。垣間見える八重歯が、幼く見えた。
「たぶんあなたは、さっきすれちがった『青木』さんを好きなんでしょう。急に顔色変えたしね。けど、通じ合わないからこうしてるってとこかな」
「……だから？」
　少年みたいにいとけない笑みは逆に余裕を感じさせ、口ぶりは大人っぽく聞こえる。こいつモテそうだなあ、と他人事のように思った。
　第三者の介入に、なにを言っても無駄だ。あれがこうでそうだから、と必死に伝えたところで、言葉にするととたんに言い訳くさくなる。といっても、彼の推理は大かたまちがっていないところが痛かった。暴くような言い草は、おれのやましさをいたぶってくる。
「オレはこれからあなたを、三回誘います。いつかはわかりません。そのどれかに引っかかってくれたら、もう一度だけ食事に行きませんか？　でもあなたが誘いに乗らなければ、オレは諦めます。どうでしょう？　自制が効けば、あなたに有利なはずですけど」
　さすが営業マンってか。駆け引きがうまい。偽りかもしれないのに讃えたくなる。おれは仕事柄話を聞くことに徹するから、引き出しかたの巧さはよくわかる。
「まず手はじめに、坂本さんのほんとうの名前。教えてよ」
「ほんとうまいね。あんた幾つだよ」
「二十六です」
　北村さんは、にっこり笑った。
「はっ、年下かよ。ずるっ」
　ナガノミズキ。と告げると、漢字はどう書くの？　と彼は尋ねた。言いたくない、と答えると、北村さんは今度、ちょっとだけ困ったようにはにかんだ。

　――きょう飲み行かん？
　スタッフルームでおにぎりを頬張っていたときだった。通知が来てスマホを見れば、ラインの送信者は青木。あれから六日後のことだった。
　おにぎりが喉に詰まってむせていると、休憩が一緒になったアシスタントの木下に、ペットボトルを差し出される。わり、と受け取ると彼は、いえいえーとにこやかだ。
「つーかこれ、永野さんのお茶っすよ」
「あ、そっか」
　はあ、と深く息を吐いてうなだれれば、木下はおれを気遣う。「あったかいお茶いれましょうか」と。
　彼はサンドイッチを置いて立ち上がり、ケトルに水を入れはじめる。なぜか、木下が淹れるお茶はうまい。茶葉の置き時間が重要なのだと彼は言う。
「なんか調子悪いっすか？　最近寒いし、気をつけてくださいね」
「木下、おまえってやつは……。ほんとかわいい後輩だよ」
「いやいや、永野さんいないとまじで店回んないし。働いてもらわないと」
「鬼！　いたわれ！」
　ははは、と木下は笑っていた。
　この数日間、おれから青木に連絡など当然できなかった。なんならフェードアウトされてもおかしくない状況下で、この文面はどう読んだらいいものか。
　いやいや、だいたいフェードアウトってなんだ？　おれがあそこにいたからといって、青木には一切問題ないはずだ。青木の性格上、おれの性的指向に嫌悪したなら連絡自体断つだろう。だったら、スルーを決めこんで誘ってきたか。
　だとしても。
　――俺のこともそういう目で見てんの？　きも……。
　これを言われる可能性はけっして捨て切れない。青木はそんなやつじゃない、という楽観はしょせん希望的観測に過ぎないのだ。想像や妄想は、胸を躍らせるより得体が知れなくて、こわい。
　次第に胃が痛くなってくる。食欲がなくなり、つくってきたおにぎりをテーブルに置いた。きょうは梅干しとしゃけで、しゃけは昨夜焼いてうまかったからその残りでつくってきた。我ながらいい焼き具合だったのに、悲しくなる。
　ことん、とマグカップが置かれた。おれのカップだった。見上げると、木下は微笑んでいる。
「おにぎり、いらないならオレ食いましょうか？」
「おまえ、狙ってんな？」
「だって、永野さんのおにぎりうまいんだもん」