雨をすぎれば

22/26
前へ
/28ページ
次へ
 好き、好きなんだ。ならせめて思い続けさせてよ。ずっとこのまま、曖昧のまま終わらせたっていい。思い出だけを道連れに生きていたらいい。ほんとうは、これ以上苦しむのはいやだ。後ずさりそうになるのをこらえ、ぎゅうっと目をつぶる。  青木をセット椅子に案内し、カットクロスをかける。勝手知ったる段取りで、コームで彼の髪を解かして好きにシザーを入れる。おれの好きな音が、無音の店内に心地よく響く。 「先輩」 「ん?」  手の動きは震えない。普段通りに仕事をする。このさきも、青木のカットはおそらくおれがするのだから。  言う、言う、豆腐メンタル壊滅しろ。おれは告白する。 「俺、先輩が好きだ」  どんな結末に至っても。 「……は? おまえ、今なんつった?」 「好きだって言った。あー、好きってあれな、親愛じゃなくて性的な。えろいことしたいほうの意味。でも嫌われんのは俺がしんどいから、無理なら今まで通りトモダチでいて。諦める努力する、つもり」  とうとつ過ぎて、シザーもコームも動きが止まる。鏡越しに青木を見るも、からかっている様子はうかがえない。じっとおれを、射抜くみたいに捉えている。目が逸らせなくなり、彼の台詞が胸を突く。どん、どん、どん。体を激しく叩きつけるみたいに、ノックする。 「だっておまえ、キスしたこと、謝ったじゃん」 「それはそのー、先輩に嫌われたくねえからとっさに出たっつーか。無理強いがどーのこーの言っといて俺がしてんじゃんっていうセルフ突っ込みっていうんですかね」  青木は苦笑し、ほのかに視線を下げた。目が合わなくなって安堵したのも束の間、また見つめられ動揺する。 「ほんとに、急にあんなことしてごめん。俺がキスしたのはあんたが好きだからで、だれとでも寝るからって、そんな理由じゃない」  どうしよう。整理できない。突然過ぎて、追いつけない。部活中に、ひゅっと飛んできた青木のパスみたいだった。大概意表をつくそれに、おれはいつもどぎまぎしていた。でも、わくわくもした。楽しい! って、体中の血が沸いた。けれど今回は、あまりにも想定外だった。高揚も沸騰もとうに飛び越えて、そのさきにあるのは動揺と懐疑だけだ。  なんでそういう、好きだとか簡単に言っちゃうの、無理ならトモダチでって易々と思えるの、諦める努力とか、おれがどれだけ試したと思ってるの。  言えなかったから苦しんだし忘れられないから嘆いたし諦められないから幾度となく呪った。おまえに望むこの心こそ、世のなかにはびこる悪なんだって。 「そんな簡単に……、おれは言えなかった」 「それは、お断りしますってことでいい? それとも、あいつとつき合うの?」  大きく、何度も何度も首を振る。うつむいたまま、青木の顔を見ないまま、逃げ出したかった。真っ直ぐに向けられる言葉なのに、理解が追いつかない。 「なんで、おまえはそうなの」 「は?」 「おれが簡単に言えないのは、ちがう」  やっと、鏡越しでも青木を臨めた。今もなお視線が力強くて、逸らしたくなる。 「諦めるってさ、簡単じゃないんだよ。好きって自覚し続けなきゃいけないんだよ。それってすげえ苦しいんだって。おれもう十年『諦める』ができてないんだよ。おまえのことずっと見てきて、もうやめようって朝起きるたびに考えて、マッチングアプリで青木に似たひと探して、セックスして、でもどうしてもおまえがよくて、通じ合わないこととか、はみ出てる自分にうんざりしてきた。忘れられないって、精神論とか根性論じゃどうにもなんねえことだよ」  なんて横暴な答えかただ。そうしてきたのはおれで、おれの意思でしたことで、心が通わないことは青木の責任じゃない。論破したいんじゃないし黙ってうなずけばいい。大逆転のブザービーターがおとずれたのに、なんでおれは。  青木の顔も見ないで、ざくざく髪を切っていくことしかできなかった。 「マッチングアプリって……、そういう理由?」 「そうだよ。引いただろドン引きしただろ、ざまあみろ」
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!

302人が本棚に入れています
本棚に追加