まぎれる

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「一応俺、どうやって先輩の気を引こうか試行錯誤中なんですけど」 「え?」  ぴたりと笑い止み、青木を見た。彼は腕を組み、口を結んでおれをじっと睨むようにとらえてくる。 「青木が試行錯誤? なんで? 必要ないだろ」  だって、おれのほうが圧倒的に気持ちが大きいはずだ。大小測れないと以前青木は言ったけれど、重さも容量も、比べものにならないんじゃないか。それに、万が一、がある。青木は過去女性とつき合っていたわけで、こんな状況に好んでとどまる必要はない。万が一以上の高い可能性が、そこかしこに広がっている。  だからこそ、こわいのだ。 「そりゃ、好きなひとの気は引きたくねえ?」 「好きなひとって……」  青木はあれから、距離感がもっと近くなった。たとえば食事中でも、うまそうだねってひょいと覗きこむ一瞬の隙間は狭いし、隣を歩くときの肩の位置も近い。手を出していると、手の甲がとき折りかする。  期待しすぎて、幸福で満ちて、欲が生まれ続けるのが、おれはこわい。好きでいてよ大切にしてよほかのひとを見ないでよって。もしも別れの予兆でも感じようものなら、裏切りだと詰りそうだ。心変わりは、裏切りでもなんでもないのに。 「先輩はまだ信じらんない? しんどかった過去は消えないけど、一秒先はわかんねえだろ。一緒にいたいってそういうことじゃね?」 「信じるって、きらい。自分の保険みたいなもんじゃん」  信じるという時点で、疑っているのとそうそう変わらないと思う。 「手厳しいなあ、もうぜったい年末旅行連れてこ。どこ行きたいか考えといてよ」 「……うん」  おれはさっき、一秒先以上の自分の未来に、青木がいない一瞬を思い描いていた。いつかおれ以外のだれかが青木のとなりに、と見えないあしたを暗いものとしてつくり上げていた。  一緒にいたいって、同じ言葉なのに青木にとってはちがうんだ。薄闇ですさんだ世界じゃない。 「で、どこにする?」 「は? 旅行の話? せっかちすぎねえ?」 「はは、ちげえよ。メシの話」  一秒先の未来。一緒に食事をすること、隣を歩くこと、この道を真っ直ぐ進むこと。それだけでほんとうは、奇跡に近いんだ。  自身を蔑むことは、青木も一緒に軽んじることなんじゃないか。それって、すごくむなしい。  ごめん、青木。もうしない。 「んー、じゃあイタリアン」 「りょーかい。飲んだら行こっか」  互いにカップに口をつけて飲み干し、外に出る。乾燥した寒気が増してきて、首をすくめる。さむ、とつぶやくと彼も、そうだなー、と答えた。青木を見上げると、無精髭がよく見える。モッズコートのフードに隠れて、エラのかたちはあまりうかがえない。 「ファーあったかそうだな。おれもそういうの買おっかな」 「今度一緒に買い物行く?」 「休みがなー、合わねえじゃん。おれとおまえ」 「じゃあ、合わせる努力します」 「それも試行錯誤の範疇なの?」 「いんや、俺がそうしたいだけ」  青木がふいに、おれの手を取ろうとする。けれど指先がためらって、結局は離れた。おそらく、おれが以前振り払ったからだ。  ちょっと不満げな横顔が、愛しかった。浮ついた右手に、高揚した。この男がおれを好きなんだって、たまらなくなった。  ぶらぶら揺れる青木の右手を、そうっと触れてみる。見下ろされ、おれも見上げてみる。街灯と街並が、青木の髪と頬を彩る。 「先輩、大丈夫だよ」 「ん?」 「ほれ、周り見てみな。ちゃんとまぎれてる。夜のなかに」  車の走行音、通り過ぎるひとたちの話し声、足音、コンビニの前でけたけた笑う学生、ざあざあとした雑音が、夜の声になって歩道を行き交う。  ほんとうだ。街の一部に、光のなかに、おれと青木がまぎれこんでいる。 「メシ楽しみだね。食ったら先輩ん家行っていい?」 「おまえはもー……、だいなしだよ」 「えー、だってさあ、さっきスタバで先輩が俺のスマホ覗きこんできたとき、危なかったまじで」 「は? なにが」 「睫毛なげえーって思ったらキスしかけてた。やべえ、人権失いかけたわ」 「あほか!」  ふくらはぎのあたりを軽く蹴ると、いってえな、と青木は笑った。 「なあ、スタバで声かけられなかった?」 「は? ねえよあほか」 「俺、なんとなくわかったかも。先輩が逆ナンされる理由」  逆ナンって。ひと聞き悪いな。怪訝に思って睨み上げるも、青木は気にもしていない。 「先輩、ちょっと寂しそうなんだよな。そういうのを隙っていうの。気をつけてね」 「え?」 「もう寂しくないよ。大丈夫」  まぎれている。一緒にいる。大丈夫。一秒先は、くすぶっちゃいない。 了
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