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表から持ってきたった〜。
ノベプラ版より、閑話休題。
ん〜特に書き加えることもないのだけれども、一応この【裏】を、表側に持っていくことはないので、コメントとか、くれちゃってくれても、いいのよ?きっちりコメ返致します。
ルールは以前通り、どんな【一言】でも大いに膨らませます。
エブリんネーム(エブリスタ、クリエイター名)は公表しません。
なんかオリジナルタイトル、つけたりつけなかったり(笑)
では以下、転載。
オリジナリティ〜とは?
まあ連載中だからといって、他のネタ書いちゃいけないってこともないんだよね。ちょっと巷で(Twitter)ホットな話題。軽く取り上げてみようかなと、まあ茶飲み話程度に聞き流しておくんなまし。
オリジナリティー、と言うのは当然「オリジナル」に対しての個々人の創作に於ける「独創性」と言う意味で用いられているのだと考えるわけだけれど、それが果たして重要なことなのかどうか。
真に、唯一無二のオリジナルと呼べるものが現状「創作」の中では存在しない、と言う考えが私の中にはある。既存のパーツ、あるいは歴史、あるいは神話・御伽噺・伝承と言った、過去の物語をヒントに創作がなされている。それが現代におけるセオリーだと言う認識でいる。
出版物としての、一次創作・二次創作といった区分とは考え方が些か異なる。これはオリジナルとしての【一次創作】に対する、独自解釈を加えオリジナリティを付加した【二次創作】と言う思考に基づく区分であると私は定義している。
でそこへ前者の【根本的なオリジナル論】をぶち込んでしまうと、論点がすり替わってしまう。
そこはきちんと分けて思考しないとな、とは思うがたまにわざと【論点ずらし】をするために、介入してみたりとまあ、私的にも悪戯がすぎるなぁと(笑)
反省はする、が悔い改める気はない。
では、オリジナリティは重要か?と言われると、私は大して重要視していない。なぜならこのように言って唯一無二のオリジナルと呼べる存在があるとしたら、それは結局「自分自身」しかないと。
たとえ複数人が同じもの学び、創作物に感動し自分達もそういった創作に関わる何かをしたいと考え実践した時、果たしてどれほど類似したものが出来上がるのか。
おそらくは全く同じものが出来上がるなどと言う事は、絶対にありえないわけで例として挙げるなら、子供の頃に皆書かされた経験があるであろう、読書感想文。それは文部科学省指定的な、課題図書の中から選んで書かれるのが常であるが、さて一字一句同じ内容の感想文が、互いの示し合わせなく生み出される可能性は、どれほどあるだろう。
たとえ手を抜いて「あとがき」を丸写ししたとしても、そこは個々人で多少手を加えたものになるであろうと、私は想像している。実際、私はそういった手抜きをしたことがないので、わからないのだが。
個人的には読書感想文は嫌いだったことを併記しておく。
結局のところ、自身が唯一無二のオリジナルである以上、そこから創作されるものは当然個人の資質に基づく、オリジナリティーが付加されるものと考えているので、私は創作において特にオリジナリティーを意識したことがない。結果として「私の文章」になればいい、読む人がそう感じてもらえるような創作ができることが、最上であるべきではないかと。
では全くオリジナリティー、独創性を意識しなくて良いかと言えばそうでもない、と言わざるを得ない現状はあろうと。私はまぁ究極的に、オリジナリティーうんぬんは少し脇に置くとして【面白ければ良い】と言う考え方であり、そこを忘れなければ楽しい物は書けるんじゃないのかなと。
オリジナリティーがあれば、理解不能でつまらない作文でもよい、などと言う考え方は私には持ち得ないし、そんな作品を【高尚な文学】などと称賛する考えにも、届かないなと。
ああ、所詮私は快楽主義者のオナニストですよ〜っと(笑)
まあこんな物でどっすか?な、箸休めのインターミッション、閑話休題でございました。
以上、転載終了。似たようなことは、時々ここでも思い出したように呟いてますね。多少、文言の変化はあるかもですけど。
オリジナリティについてはまあもちっと書きたいことがあるのですけど、それは後日ということで。
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