左手の薬指

2/13
前へ
/42ページ
次へ
「おはよう」 「おはようございます」  二人で出掛けた日から数週間。  未だに周防さんは、毎朝毎晩、欠かさず私の送り迎えをしてくれる。  他愛もない話をしたり、コンペに向けての近況を教えてもらえたりすることが、私にとっても至福の時間となっていた。  周防さんにサービスする為の、賄いの海老天を揚げるのがだんだん上手になってきたことに苦笑する。  特に急接近しているわけでもなく、穏やかに過ぎていく二人の時間は、恋に疲れた私にとって、癒しそのものだった。 「もうすぐですね。コンペ」  弾んだ心で顔を緩めると、優しい顔で微笑み返してくれる周防さん。 「ああ。由枝ちゃんのおかげで、納得いく設計ができた。きっといい結果が貰えると思う」  実際には、私の素っ頓狂な話をほんの少しのアクセントに、彼の洗練されたセンスによって作り変えてくれたというのが事実だった。    ゆっくり広場は、花言葉で安らぎを意味することから『ねむの木広場』に、ワイワイ広場は賑わいを意味する『ペチュニアの丘』と名付けられ、施設の憩いの場として彩った。  完成図案を見せて貰った時には、あまりの素晴らしさに震えが止まらず、涙が滝のように流れて暫く彼とマイクさんを心配させた程。 「私も、優勝することを祈ってます」  手を繋いでいるわけでも、隣を至近距離で歩くことすらない二人。  それでもこの距離感が、とても心地良くて有り難かった。 「本当に、一緒に行ってくれないの?」  周防さんは急に子犬のような顔で私を見つめる。  胸を鷲づかみにされながらも、必死に理性を保った。 「はい。その日はお店も忙しそうですし」  少し前からずっと誘われていたことだった。  コンペに一緒に出場して欲しいと。  もったいない程有り難い話だけど、私に参加する資格なんてない。  元不動産屋社員というだけの素人だ。  それに今は、しげよしの一員だし。 「そっか」  寂しげに眉を下げる彼に胸を痛めながらも、苦笑するしかない。 「確かその日は、コンペが終わったらセレモニーパーティーがあるんですよね?」  マイクさんから聞いた情報を伝えると、彼は「余計なことを言って」とため息をついた。 「大丈夫。俺はでないよ。夕方には戻れると思うから、お店に迎えに」  間髪入れず首を横に振る。 「きっと優勝しますから、主役が出ないでどうするんですか。最後まで楽しんで来てください」 「いや、でも」 「私の方は本当に大丈夫です!いざとなったら、常連さんの知り合いの、元プロレスラーの方に付き添いお願いしますから」  満面の笑みを作る私に、彼は不服そうな顔をしながらも渋々肯いた。    
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

782人が本棚に入れています
本棚に追加