愛し君へ

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愛し君へ

 薄いカーテンを通して、月の光が射しこんでくる。大きなベッドの掛布団が膨らんで、もぞもぞと動いている。中身はもちろん悠真と光輝。二人とも生まれたままの姿で、ぎゅ、と抱きしめ合ってたのしいピロートーク。 「かわいいかわいい、悠真は世界一可愛い」 「光輝さんは、目玉をピンポン玉とすり替えられてるのか?」 「そんな訳ないだろ! ああ、このもちもちほっぺた……つんつんとした髪の毛……凛々しい目元……はー、可愛い。好き!」  悠真が悠真でなくなった日から一ヶ月。あの日々が嘘のように二人はいちゃついていた。光輝の顔は薄暗くても分かるほどにとろけきっていて、悠真は照れくさい。でも、嬉しかった。まさかこんな日が来るなんて。カレーを作ったりお風呂場で泣いていた時の自分に教えても、おそらく信じないだろう。  ぎゅ、と抱きしめると抱きしめ返してくれる腕が好き。誠実で身体の事をしっかり考えてくれる優しさが好き。頭を撫でてくれる手が好き。ふんわりとした笑顔が好き。俺だって、世界で一番、光輝さんがかっこよく見えている。悠真はそう思いながらも、どうしても恥ずかしくて全部は伝えられない。 「俺も、好き……」  そう言うのが精いっぱい。だけど、たぶんお見通しなんだろう。光輝は悠真の頭を撫でて、おでこにキスをした。それから両側の頬、まぶた。ちゅっちゅとついばむようなキスをする。先ほど激しく求めあったばかりなのに、また致しかねない勢い。  最後に唇にキスをする。舌を絡めながら、悠真はふとキスする場所には意味がある事を思い出す。この前何気なくスマホで心理テストを見て、検索したのだ。どこか外国の人が作った詩が出てきた。確か、唇は愛情、額は友情、頬は満足、まぶたは憧れ……手の甲は……。  悠真が思い出せなくて考えていると、唇が離れた。光輝はそっと悠真の左手をとって、手の甲に口づけた。 「あと五年して、悠真が大学を卒業して、俺が社会人になって……生活が落ち着いたら、指輪を見に行こう。今度は悠真も一緒に選んで」 「え? もうあるじゃん」 「それは俺がプレゼントした奴だし、右手の薬指用だよ」 「……左手の薬指につけるやつがいいな」    光輝ははにかむような笑みを浮かべて、恥ずかしそうに下を向いた。  手の甲のキスは……敬愛。貴方の事を一人の人間として尊敬し、尊重しますという……本気の愛を伝えるためのキス。深い愛情のしるし。  悠真はそこまで思い出せなかったが、思いは十分伝わった。指輪の話からの手の甲のキス……こんなの、プロポーズじゃないか。結婚しようと言われているようなものじゃないか。 「……俺で、いいの?」 「悠真じゃなきゃ、だめだ」 「…………俺だって、光輝さんじゃなきゃ、だめ」  悠真の潤んだ瞳に光輝だけが映っていた。やがてそっと唇が触れあって、抱きしめる腕に力がこもって……月明かりに照らされたベッドが、少し軋んだ。    雲一つなく晴れた綺麗な空を背景に、満開の桜が花びらを散らす。ふわりと風に舞った花びらが悠真の頬にくっつく。まるで涙がこぼれるみたいに。光輝はその花びらをそっと指でつまんで、地面に落とした。 「不動産売買契約書、書くの緊張した……」 「見学に行った時、営業の人がめちゃくちゃ家の用途聞いてたな……なんだよ、男二人で住んだらいけないのかよ」 「……でも、ついに夢のマイホームだ。契約書、なんか婚姻届けみたいだった」 「なっ……なに言ってるんだよ!」  光輝は思い返しては頬を染める。源泉徴収票をコピーして、納税証明書と身分証明を用意して……サインして、印鑑を押す。悠真と一緒に住むために家を買いましたよ、という証。二人で住むための、愛の巣。  悠真は顔を真っ赤にして、プイ、とそっぽを向く。川沿いの道、桜並木の道。春風を追い越していくようにして、二人で歩く。光輝はぽつりと呟いた。 「懐かしいな。悠真が家から引っ越してきた時に、この道を通ってきたんだよ」 「へえー、綺麗な所……」 「季節外れのサンタさんが、プレゼントを持ってきてくれたかと思った」  光輝は照れくさそうに言った。桜の花びらは降り積もる雪。引っ越し屋さんとトラックはサンタクロースとそり。プレゼントは悠真。何言ってるんだよ! と言って、悠真は恥ずかしそうに笑いながら光輝を見た。本当に自分でも何を言っているんだろうと光輝は思った。  でも、嬉しかった。朝起きて隣に好きな人がいて、一緒にご飯を食べたり洗濯をしたり……日常生活を共にできるという事。いきなり消えた日常が、今は少し形を変えて戻ってきた。   「……悠真、手つなご」  光輝は悠真の左手をそっと握る。冬の間、ハンドクリームをこまめに塗っていた手はすべすべしていて柔らかい。その薬指に輝く指輪。二人で指を合わせるとハートになるようなカービングが入っていて、あしらわれたダイヤモンドがきらきらと光る。  二人で手を繋いで、桜並木の道を歩いた。途中、曲がり角からジョギング中の男性が飛び出してきた。男性は繋がれた手を見て、少し怪訝そうな顔をしながら走り去っていった。  悠真を見ると、頬が赤い。悠真から見た光輝も同じ。二人で頬を桜色に染めながら、手を繋いで一緒に歩く。今度は絶対、この手を離さない。薬指の指輪が、きらりと光った。    光輝は昔、かっこよかった。スタイルの良いすらりとしたイケメンだった。男女問わずモテていて、それで喧嘩をしたことだってある。  しかし、時間の流れは残酷なもので、最近よく鏡を見ては落ち込んでいる。年々体型がゆるくなっていって、だんだんお腹が大きくなってきて顔も丸くなってきて、どこもかしこもぷにぷに。とってもわがままボディ。そして家系の関係上、どうしても避けられない頭髪問題。  今日も光輝は鏡の前で大きくため息をつく。 「悠真……俺、ヤバいよ。こんなおじさんになっちゃって……ごめんね」 「何言ってるんだ、俺だっておじさんだろ。可愛いからいいよ」 「悠真は体型あんまり変わってないし、髪の毛もふさふさだから! こんなでぶおじさんが可愛いわけないじゃん」  ずるい! と光輝は頬を膨らませる。そういう所だよ。加齢に逆らえなくて体型は丸いけど、頑張って運動をしているの、知ってるよ。テレビやスマホで見たダイエット情報を片っ端から試しているのに、お風呂上がりのアイスがやめられないのも知ってる。甘いお酒も好き、お菓子はもっと大好き。ちゃんと全部知ってる。  悠真は光輝の少しばかり後退した髪の毛を撫でた。光輝は悠真を改めて見る。視力がだんだん落ちて眼鏡をかけだした悠真。染めても染めても白髪が出てくる生え際。最近はあまり量が食べられなくなったらしく、木の棒みたいに痩せた身体。  お互い、おじさんになってしまった。初めて出会った時とはだいぶ変わってしまって、もう今は若かった時の面影なんてないけれど。  でも、ふとした瞬間、何気ない動作から、好きになった所が見える。どんな姿になっても、どんなに年をとっても、変わらない何かがある。それは髪の毛の柔らかさだったり、頭の形だったり、些細なもの。 「可愛いよ、光輝は可愛い」 「……悠真」 「おじいちゃんになっても、きっと可愛い」  悠真がそう言ってぎゅ、と抱きしめると光輝はおずおずと背中に腕を回す。ぷにぷにの丸いお腹と、悠真のあばらが浮いたお腹がくっつく。 「うぅ……頑張る。俺、ダイエット頑張る。今日から走る。アイスやめる……あっ、やっぱり明日から」 「明日からかよ。まぁいいや、俺も一緒に付き合うから頑張ろう? 健康診断の数値がこれ以上悪くなったらいけないからな。今日は全体的にヘルシーなメニューにしておいた」 「……最初は包丁で指を切ってばっかりだったのにね。まさか悠真がお料理上手になるなんて」  大失敗カレーを食べさせたあの時に決意した。おいしいものが作れるようになりたい。料理を頑張って頑張って、今では和食洋食中華何でもござれ、最近は減塩食やダイエットメニューに力を入れている。  悠真は少しうつむいて頬を染めた。 「……だって、光輝に長生きしてほしいから。できるだけ長く、一緒に生きていたいんだ」  背中に手を回す。どれだけ姿が変わっても、どんなに年をとっても、貴方の事を愛している。この命あるかぎり、いつまでも。愛し君へ。
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