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俺はゆう君じゃない
「一週間前、黛悠真(まゆずみ ゆうま)くんは高校に入学しました」
「うん」
「そして将棋部に入りました」
「うんうん」
「そこで俺・佐和光輝(さわ こうき)と運命的に出会い、色々あったけど最終的にラブラブになります! 今ここ!!」
「ナニ言ってるんだ、あんた!?」
ソファに移動して、並んで座って話しているのだが……訳が分からない。窓の外をふと見ると、冬空。遠い彼方から降ってくる雪の粒は小さく、空はどんよりと曇っている。部屋の中はよく見ればエアコンがついていた。服も心なしかモコモコしているような気がする。悠真は一週間ほど前に、暖房器具をしまったばかり……それなのに今は冬まっさかり。不思議な感覚に襲われながらも横に座る男……佐和を見る。
シンプルな無地のTシャツに普通のジーンズという出で立ちなのに、その場に華やぎが生まれている。無駄にかっこいい。イケメンってすごい。ずるい。悠真はそんなどうでもいい事とタイムスリップの事を並行して考えていた。
「俺の家は、どうなっているんだ?」
「ゆう君のお父さん、お母さんの地元に転勤が決まってそっちに住んでるよ。大学があるから、ゆう君は俺と住んでいる」
「え!?? 転勤? 大学? あんたと住んでいる??」
悠真は動転した。父親の転勤で母親の地元に引っ越し。自分は大学に通っている。そしてこの目の前のイケメンと二人暮らし。訳が分からない。着いていけない。ゆう君はそんな人生を……ん?
「待て! ゆう君って何だ!!?」
「黛悠真だからゆう君だよ」
何だその可愛いあだ名。佐和はにっこり笑いながら「ゆう君はゆう君だよ」と嬉しそうに言う。冗談じゃない。
「おい、変なあだ名付けるな」
「え……」
「こっちの世界の俺を何て呼ぼうが自由だけど、俺はゆう君じゃないから」
「……ゆう君はゆう君だよ」
「とにかく、ゆう君はやめろ」
悠真がプイと顔をそむけると、佐和はとても悲しそうな顔をして俯いた。一瞬、悠真は物凄く悪いことをしているような気分になる。が、ぶんぶんを頭を振って、考えを外に出した。
だって、俺はこの世界の『ゆう君』じゃないから。
……よくよく考えてみたら。この世界に十六歳の俺がタイムスリップしてきた。ということは、この世界の十九歳の黛悠真だってどこかにいるんじゃないか。まさか入れ替わりで、三年前の世界に十九歳の俺がいるのか。
そもそもどうしていきなりタイムスリップしてしまったのか。何かきっかけがあるのか。タイムスリップ……青い猫型ロボット……ジャンプして時をかけちゃう少女……待てよ? 宝くじの番号を調べて覚えておけば、過去の世界に戻った時大儲けできるのでは?
そもそも、俺……過去の世界に戻れるんだろうか? どうしよう、一生このままだったら。
ぐう
寂しそうな顔をする佐和。色々な事を思い悩む悠真。静まり返った部屋に、緊張感のかけらもないような音が響き渡る。発信源は悠真の腹である。一切の遠慮もなしに、ぐうぐうぐうぐう鳴り出す。慌てて悠真はお腹を抑えるが、止まらなかった。悠真は思わず頬を赤くして俯く。何だこれ、は、恥ずかしい!
「…………はは」
顔を上げた。佐和の顔が不意に緩む。花が綻ぶような、綺麗な笑み。先ほどまでの憂い顔とは打って変わって、優しい顔。でも、やっぱりどこか寂しそう……イケメンって本当にずるいんだな。
悠真はもう一度俯いてソファの上で体育座りをしながら頬を撫でる。ほっぺたが熱いのは、お腹が鳴って恥ずかしかったからだ。それだけだ。
「お腹すいた?何か作ろうか」
「……うん」
佐和はソファから立ち上がり……悠真の頭にぽんと手のひらを置いた。くしゃ、と髪の毛を撫でる。佐和からしたら、いつもの何気ない習慣のようなものだった。しかし、悠真は驚いた。頭を撫でられた事が不快だったのではない。なぜだろう……なぜか、懐かしいような、嬉しいような、そんなよく分からない感情が芽生えたからだ。だが悠真はそれを言葉にできなかった。代わりにこう言ったのだ。
「あ、頭なでるのも、ダメ」
「…………そっか」
佐和は困ったように眉毛を寄せて笑った。その笑顔はなぜか寂しそうで、今にも泣きだしそうに悠真には見えた。でも、どうしたらいいのか分からなくて、ソファに体育座りをして膝に顔を埋める。
あの人、もしかして知ってる人かもしれない。
時計を見る。十時半。あのドタバタの起床から二時間は経過している。逆に言うと二時間しかあの人と一緒に過ごしていない。でも……もっとずっと前から、一緒だったような気がするのだ。一ヶ月前に中学を卒業した時よりもっと前。ずっと前に……そう、ずっと一緒にいたような気がするのだ。頭の中の記憶の引き出しを開けたり閉めたりしてみるが、それらしき人はひっかかってこない。イケメンなのに、影も形も出てこない。やはり初対面なのだ。
この後俺は過去の世界に戻ってあの人と出会うのだろう。あの人、将棋部って言ってたし。
でも、今はまだ、出会っていない。懐かしく思う余地なんて、まったくないのだ。
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