海まで逃げる

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 君の手を引いて駆け出す。目に鮮やかな空色が飛び込んでくる。ここから逃げるんだ。ここから逃げて、どこか遠いところで二人で暮らすんだ。誰も僕らの夢を笑わないようなどこかへ、逃げるんだ。 「ごめんなさい」  そんな顔をしないでよ。僕がいるんだから、大丈夫。さあこっちへおいで。 「うん」  君がうなずく。栗色の髪の毛が風に揺れる。髪が広がると向こうの海がすけて見える。君の髪の毛は綺麗だね。 「ありがとう」  恥ずかしそうな顔もかわいいな。かわいいな。手を強く握りしめる。 「どうして、そんな」  不安そうな顔にさせちゃったね。ごめんね。 「いいよ」  君が隣にいれば僕はどこへだって走っていけるんだ。ほら、風を切って何もかも超えて行ける。  だんだん周りのかぜが強くなっていく。僕らは速くなっていく。このまま走っていくんだ。 「どこへ行くの」  それは僕にもわからない。でも走っていけばいつかは海にたどり着くんだ。誰かから聞いたんだ。ずっと走り続ければいつかは海にたどり着くって。だから僕らは海へ行こう。  そうだ、海へ行こう。海へ、逃げるんだ。 「海?」  そうだよ。海だ。海の向こうにはなにがあるんだろう。僕らが一番行きたい場所があるんじゃないかな。 「そうなの?」  ああそうだよ。きっと海の向こうには自由な世界があるはずだよ。だってそうじゃなきゃこの世界に救いがなくなっちゃうじゃないか。 「じゃあなんで」  どうしたの、そんなふうに眉をひそめて。何かわからないことでもあるの。 「兄さんはいなくなったの」  知らないよそんなこと。僕は知らない知らない知らない……。 「自由に殺されたんでしょ」  兄さんはもういないんだ。 「もう諦めようよ」  じゃあなんで。 「仕方ないでしょ。この世界に救いなんてもとからないんだよ」  そうなの? 「そうだよ。だから私達は海に行くんでしょ」  海? 「うん。分かってるんでしょ、本当は。だってあなた頭がいいんでしょ。だったら分かるでしょ。当ててみてよ。海に行って、私達がその後どこへ行くのか」  どこへ行くの。 「分からないのね。私はあなたが好きよ。ずっとずっと好きよ。あなたも私のことをずっとずっと愛していてくれる?」  いいよ。 「ああ、その言葉が聞きたかった。ずっと欲しかった言葉。ね、あなたは覚えてる? あなたがあなたの兄さんを殺したこと」  どうして、そんな。 「ふふ、やっぱり覚えていないのね。あなたが望んだのだからしょうがないと思うけれど。自由は平等じゃないの。だから自由を兄さんから『貰った』んでしょう。私が自由を教えてあげたでしょう。なにも知らないあなたを助けてあげたのよ」  ありがとう。 「そう、お礼は大事。それが分かるなら私の望みも分かるでしょう?」  うん。 「私の愛しい賢い子。夏の海は綺麗だから死んだあの子にも会えるでしょう。ああでもあの子は悲しむかもしれないわ。そういうときには何ていうの?」  ごめんなさい。 「そうよ。偉いわ。さあ逃げましょう。汚いあの独房からも、看守からも、豆腐売りの声からも、どれだけ望んでも届かなかった綺麗な覚めない夢からも。あなたとなら逃げ切れたのかしら? わからないけれど、これだけ海が青ければ二人分の朱色くらい隠してくれるでしょう」
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