第4話 おきせ受難

1/1
前へ
/10ページ
次へ

第4話 おきせ受難

「お福、どうした? 顔色が悪いぞ」  ある日半兵衛の(ねぐら)を訪ねたお福は、気もそぞろで蒼い顔をしていた。 「半ちゃん……」  お福の目からぽろりと涙が零れた。 「おきせが帰って来ないんだよう……」 「帰って来ねえって、おめえ……。もう六つ過ぎだぜ」  夏場の暮れ六つである。現代の時刻で言えば夜七時を過ぎて、陽は落ちている。子供の出歩く時刻ではない。 「どこにもいないんだよう。探したんだよう」  顔を歪めてお福は堰を切ったように言い立てた。  きせは賢い子供だ。親の言いつけを守り、長屋の遠くに出かける事は無かった。大抵は妹のるいの面倒を見ており、傍を離れる事は無い。 「るいは何か言ってねえのか? って、口を利かねえか」  今で言えば自閉症と云うのであろうか。攫われ掛けた恐怖が心の傷となり、るいは未だに言葉を発さない。 「泣いてるばっかりで要領を得ないんだよ」 「長屋の差配(さはい)には話したのか?」 「そっちはうちの宿六が行ってるよ」  亭主の参次は腕の良い大工で、子煩悩な男だ。酒も飲めないので貯えもあるだろうと余計な噂をする奴もいたが、人の恨みを買うような男ではない。小金を貯めていても所詮庶民だ。身代金目当ての拐かしと云う事もあるまい。 「ならば俺が三ノ輪の親分の所へ走って来よう」  半兵衛が住む根岸の長屋から三ノ輪まで、半兵衛の足ならひとっ走りだ。 「五郎蔵親分の所かえ?」 「ああ。こう云う事は早え方がいい。触れを回してくれるよう頼んで来る」  三ノ輪の五郎蔵は北町同心から十手を預かる岡っ引きであった。本業は香具師(やし)の元締めで顔が広い。 「親分の身内でおきせを見掛けた奴がいるかもしれねえ」 「頼むよ、半ちゃん。あんたが頼りだ」  知恵者で面倒見も良い半兵衛は、いざと云う時に長屋の住人から頼りにされていた。 「おきせはきっと見つかるから、おめえは慌てるんじゃねえぜ。気を落ち着かせて待ってろ」  お福を落ち着かせた半兵衛は、おきせがいなくなった前後の事情を分かる範囲で聞き取ると、尻を端折(はしょ)って長屋の路地を飛び出した。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加