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第4話 おきせ受難
「お福、どうした? 顔色が悪いぞ」
ある日半兵衛の塒を訪ねたお福は、気もそぞろで蒼い顔をしていた。
「半ちゃん……」
お福の目からぽろりと涙が零れた。
「おきせが帰って来ないんだよう……」
「帰って来ねえって、おめえ……。もう六つ過ぎだぜ」
夏場の暮れ六つである。現代の時刻で言えば夜七時を過ぎて、陽は落ちている。子供の出歩く時刻ではない。
「どこにもいないんだよう。探したんだよう」
顔を歪めてお福は堰を切ったように言い立てた。
きせは賢い子供だ。親の言いつけを守り、長屋の遠くに出かける事は無かった。大抵は妹のるいの面倒を見ており、傍を離れる事は無い。
「るいは何か言ってねえのか? って、口を利かねえか」
今で言えば自閉症と云うのであろうか。攫われ掛けた恐怖が心の傷となり、るいは未だに言葉を発さない。
「泣いてるばっかりで要領を得ないんだよ」
「長屋の差配には話したのか?」
「そっちはうちの宿六が行ってるよ」
亭主の参次は腕の良い大工で、子煩悩な男だ。酒も飲めないので貯えもあるだろうと余計な噂をする奴もいたが、人の恨みを買うような男ではない。小金を貯めていても所詮庶民だ。身代金目当ての拐かしと云う事もあるまい。
「ならば俺が三ノ輪の親分の所へ走って来よう」
半兵衛が住む根岸の長屋から三ノ輪まで、半兵衛の足ならひとっ走りだ。
「五郎蔵親分の所かえ?」
「ああ。こう云う事は早え方がいい。触れを回してくれるよう頼んで来る」
三ノ輪の五郎蔵は北町同心から十手を預かる岡っ引きであった。本業は香具師の元締めで顔が広い。
「親分の身内でおきせを見掛けた奴がいるかもしれねえ」
「頼むよ、半ちゃん。あんたが頼りだ」
知恵者で面倒見も良い半兵衛は、いざと云う時に長屋の住人から頼りにされていた。
「おきせはきっと見つかるから、おめえは慌てるんじゃねえぜ。気を落ち着かせて待ってろ」
お福を落ち着かせた半兵衛は、おきせがいなくなった前後の事情を分かる範囲で聞き取ると、尻を端折って長屋の路地を飛び出した。
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