視える僕を怪異が囲う

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視える僕を怪異が囲う

 いつも通りの通学途中、僕の視界に有象無象が目に入る。  僕と同じように出勤や通学で駅に向かう人達には、これが見えていないだろう。本来ならそれが正常なのだ。  有象無象を無視して駅に入り、改札を通る。あれらが見えない他の人と同じように振る舞わないと、僕はまともな生活が営めない。だから、僕は目に入る有象無象全てを無視して電車に乗り込む。  僕が本当に小さかった頃は、目に見える有象無象にいちいち反応しては厄介なことになっていた。それを繰り返すうちに、無視するのが最適解だと気づいた。  有象無象を無視して生活するのにももう慣れた。きっと有象無象側も、僕が見えているということには気づいていないだろう。  電車が地下に入る瞬間、窓の外を見る。一瞬窓の外から覗き込んでいる何者かと目が合ったけれども、じっと見ることもなく、自然に視線を外す。上手く誤魔化せただろうか。 “おまえ”  目が合った何者かが声を掛けてくる。僕はそれを無視する。何者かは何度も声を掛けてくる。その度に僕は聞こえない振りをし、素知らぬ顔をする。 “視えていないのか”  その言葉にも答えない。返せば面倒なことになるからだ。  そうしているうちに学校の最寄り駅に着いた。僕はノートと教科書、それにお弁当が入ったリュックサックを背負い直して電車から降りる。  もうあの何者かの声は聞こえなかった。  駅からしばらく歩いて学校へと向かう。その道中でも見えてはいけないものはまあまあいたけれども、このあたりは神社や小さな社がちょくちょくあるらしく、僕としては治安が良いなと思う地域だ。  学校について教室に向かう。同じ方向に向かったりすれ違ったりする生徒達はみんな明るい顔をしている。  僕はどうなのだろう。自分では自分の顔はわからない。少なくとも、学校が嫌いなわけではないけれども、授業は少しだけ憂鬱だ。  朝のホームルームが終わって授業がはじまる。授業中のこの教室は比較的静かだ。  隣の教室からは賑やかな声が聞こえてくるし、なんならたまに廊下を走りながら歌ってまわる生徒が来たりはするけれども、別に治安が悪いわけでも学級崩壊を起こしているわけでもない。ただ、少々やんちゃな生徒がいるだけだ。  先生達も慣れているようで、軽く窘めるだけだし、生徒側もそれで言うことを聞くので問題はないだろう。  隣の教室の賑やかな声に混じる先生の声を聞きながら、僕は黒板とノートを凝視する。  黒板になにが書いてあるのかわからない。目が悪いわけではなく、僕は文字が読めないのだ。そう、読めないだけでなく、書くのも難しい。けれども先生の話が理解出来ないわけでもない。  これは僕の知能の問題なのかと思っていたのだけれども、それを先輩に打ち明けると、先輩はどちらかというと知能障害というよりはもっと別の、けれども生まれつきの障害だろうと教えてくれた。  教えてくれただけでなく、僕が読み書きできない理由を先生に話して、なんとか授業やテストを融通してくれるように交渉もしてくれた。先輩には感謝しかない。  でも、それでも僕が授業中に教科書が読めなくてノートを取るのが難しいことには変わりがない。そんな僕に、先輩は放課後に部室で教科書を読み聞かせてくれるのだ。  授業中は先生の話をしっかり聞くけれども、先輩の手助けで復習が出来るのはありがたい。  それでも、文字の読み書きができない現実を突きつけられてハンデを感じる授業は、少しだけ憂鬱だった。  授業が終わり放課後、僕は軽い足取りで地学室へと向かう。地学室は僕が所属している部活の部室だ。  僕が所属している部活は、なんと言えばいいのだろう。元々は文芸部に入るつもりで向かったら、そこは文芸部と地学部と天文部が渾然としてしまっているところで、なにがどうしてそうなったのかがわからない。  わからないけれど、先輩達から地学と天文の話を聞くのは楽しい。それに、先輩達は文字を書けない僕が小説を書くための手助けをしてくれる。部室で過ごす時間は楽しくて、学校に来る主な楽しみは、はじめ志望して入ったデザインの授業よりも部活になってしまった。  それもどうなのだろうとは思うけれども、学校に来なくなるよりはだいぶましだろう。 「こんにちは」  僕がそう言って地学室の扉を開けて中に入ると、そこには先輩が三人いる。 「よう、大島。今日はちょっと遅かったな」  僕の名前を呼んで、鉱物の写真が載ってる本から顔を上げて先輩がにこりと笑う。 「蔵前先輩、その本は?」  僕が本を読んでいた先輩にそう訊ねると、蔵前先輩は本の写真を僕に見せてにっと笑う。 「図書館で借りてきた。無事にリクエストが通ってさ」 「そうですか。それはよかったです」  うれしそうな蔵前先輩のようすに、僕の顔も思わず綻ぶ。  そうしていると、学年がひとつ上の先輩が、鞄からなにかの詰まった保存容器を取り出して大きめの声で言う。 「せんぱーい、大島が来たならおやつ食べましょう。 今日はラズベリージャムとカスタードクリームのパイ焼いてきたんですよ」 「葛西はよくそんな難しそうなもの上手く運搬してくるよな」  保存容器の蓋を開けて机の上に置く葛西先輩に、蔵前先輩が感心したように声を掛けながら、本にしおりを挟んで閉じる。どうやらおやつを食べる体勢に入ったようだ。  葛西先輩はよくお菓子を作って持って来てくれる。それを僕も含めた部員みんなが楽しみにしているのだけれども、葛西先輩は少しだけ気になるところがある。  悪い人だというのではない。成績は良くないそうだけれども、まあそれもいいだろう。  そうではなく、葛西先輩はなんとなく、人間がへたくそな気がするのだ。  人間がへたくそというのがどういう状態か。といわれると説明が難しいのだけれども、なんとなく、葛西先輩は人間というものに収まりが悪いような印象がある。  そんな葛西先輩の近くに座り直して、僕に手招きをする先輩がいる。 「じゃあ、葛西君のお菓子食べたら大島君の復習をやっちゃおうか」 「はい、そうですね。 新橋先輩、隣に失礼します」  僕が手招きをしてきた新橋先輩の隣に座ると、みんなでいただきますをして葛西先輩が作ってきたパイに手を伸ばしはじめた。  葛西先輩が作ってきたパイはふたくちくらいで食べられる小さなもので、こんがりと付いた焼き目が香ばしくて、中に入っているジャムとクリームがとても甘い。けれども、パイ生地が甘さ控えめで作られているのと軽めの食感なので、とても食べやすい。  この軽い食感は、そうとうバターを挟み込んでいるな。そう思いながら、僕はちらりと隣に座っている新橋先輩の左手を見る。  新橋先輩の左手の中指にはきらきらと光る指輪が填まっている。これが気になって、一度新橋先輩にアクセサリーは好きかとカマを掛けて見たことがあるのだけれども、新橋先輩はこの指輪についてなにも言っていなかったし、普段は身につける習慣もないと言っていた。どうやら、新橋先輩の指に光るこの指輪は、常人には見えないもののようだった。  なにか悪さをするでもなし。けれども存在感を主張するあの指輪はなんなのだろう。僕が時折そのことを疑問に思っていると、先輩達は夏に出す文芸部の部誌の話をはじめた。 「葛西君、プロットはまとめられた?」  新橋先輩の問いに、葛西先輩は自慢げに返す。 「もちろんですよ。俺、こういうのは得意なんで」 「そっか、よかった。 その調子で授業もがんばろうね」 「新橋先輩、ほんとそういうとこぉ……」  新橋先輩の一言で葛西先輩がしょげる。でも、授業をがんばって欲しいのは僕も同じなので擁護はしない。 「蔵前先輩は進捗どうですか?」  僕がそう訊ねると、蔵前先輩は気まずそうな顔をしてこう返す。 「それが、上手くまとまんないんだよなぁ。 そんなに長い話を書くわけでもないのに」  それを聞いた新橋先輩が、斜め上を見て言う。 「蔵前君、また色々な要素を詰め込もうとしてない? いっぱい詰め込みたいなら長くしちゃってもかまわないと思うけど」 「だって、印刷費が……印刷費が……」 「うん、印刷費は蔵前君だけの負担じゃないし、学校からも支給されるから……」  みんな進捗はそれぞれなようだ。  新橋先輩は特に進捗の開示をしていないけれども、問題はないだろう。なんせ新橋先輩は速筆だ。もしかしたらもう書き上がってるまであるかもしれない。 「大島君は構想練ってきた?」  新橋先輩が僕の方を向いてそう訊ねるので、僕は口に入れていたパイを飲み込んでから返す。 「はい、構想は練ってきています」 「なるほど。 それじゃあ、授業の復習の後にそれを聞こうか」 「はい、お願いします」  僕は自力でプロットを文字に起こすことができないし、できたとしても読むことができない。なので、僕が練った話の構想を新橋先輩が文字に起こして、それをカセットテープに吹き込んで僕に渡すということをしてくれている。  元々この部室になかった録音用のカセットデッキを持ってきてくれたのは、葛西先輩だ。録音用のカセットテープは僕が用意するということになっているけれども、いつも必ず一本、予備で五分テープが用意されてる。それは蔵前先輩が気を利かせて置いておいてくれている。  本当に、良い先輩に恵まれて僕はしあわせだと思う。ここにいるととても安心する。  けれども。と、僕は先輩達の背後を見る。  この学校にも怪異はあるのだ。
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