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3.俺が行く
「お、焼けてきた」
たき火をつつきながら麻人が笑う。こんな状況でもこの兄の表情は一切変わらない。
家族会議の結果、すでに父が他界している我が家で徴兵に応じることができるのは、年老いて歩くのもやっとの母ではなく、自分か麻人のどちらかだろうという結論に至った。
どちらが行くことになるのかはまだ決まっていない。お互い一度ゆっくり考えよう、という麻人の提案があったためだ。
一晩考えた。考えて考えて。出た結論はただ一つ。
自分は死にたくない、というものだった。
出兵しなかったとしてもそう長くは生きられないかもしれない。隕石群は容赦なく降り注ぎ続け、今日もどこかの町が消えている。ここが明日も無事だなんて保証はどこにもない。けれど、だからと言って自ら死を選べるほど自分は強くない。
いや、それだけじゃない。
ちらりと麻人の横顔を窺う。自分とまったく同じ顔の兄の顔を。
………お願い、博樹。
脳裏に蘇る声に博樹は動悸を覚え、うめきそうになる自分の声を押し殺すため、下唇を噛みしめた。
自分を苦しめ続けるその声。幼馴染の彼女。千鶴の声だ。
千鶴とは子供のころからずっと一緒だった。同い年で、家が隣同士で親同士も仲が良かったから、一緒に遊ぶようになるのはごく自然のなりゆきだった。保育園も小学校も中学校も一緒に通い、授業が終われば一緒に帰った。彼女は近所でも評判の美人なのに、性格は男勝りで、木登りやチャンバラ、キャッチボールを好むような女の子だった。
裏表がなく、気さくで、まっすぐな彼女は、自分にとって一番の親友と言えた。悩み事があれば真っ先に彼女に相談したし、彼女も様々なことを話してくれた。勉強のこと。進路のこと。母親への誕生日プレゼントのこと。ブラスバンド部での後輩とのいざこざのこと。飼い猫のみーすけのこと。
自分にとって、千鶴は一番近くにいる存在だった。今も、これからもずっとそうだろうし、彼女もきっとそう感じていると信じていた。
盲目的に信じ込んでいたから、疑いもしなかった。彼女と自分は同じ温度でお互いを見つめていて、永遠にその関係は続くと思っていた。彼女が自分に背を向ける日が存在することを想像すらしなかった。
だから話したのだ。徴兵について、自分か麻人が行くことになりそうだと。
博樹に残ってほしい、麻人には悪いけど、とそう言われるか、あるいは優しい彼女は自分の感情を出すことをよしとせず、悲痛に黙り込むかのどちらかだろうと予測していたが、彼女の反応はそのどちらでもなかった。
彼女は言った。残酷な一言を。
………お願い。博樹。麻人の代わりに行って。
ぱちぱち、とたき火が音を立てて燃え上る。徐々に暗く沈んでいく庭の真ん中で、炎は煌々と輝き、麻人の顔にくっきりとした陰影を刻んでいる。
自分のこれまでの人生はなんだったのだろう。彼女と共に歩き、彼女と笑い、彼女と泣き、いつだって傍らには彼女がいた。自分の人生のどの瞬間を切り取ってもそれは変わらなかった。
けれど彼女の一言は、それらすべての瞬間が無為なものだったと知らしめるものだった。
千鶴は麻人を選んでいたのだ。もうずっと前から。
気づけなかったのは自分だ。悪いのは自分だ。けれど、だからと言って彼女の希望を叶えようとはどうしたって思えない。
むしろ、逆だ。
同じ顔、同じ声。なのに、千鶴はなぜ自分ではなく、兄を選ぶのか。
性格が、と言われればそうかもしれない。確かに兄は自分よりよっぽど立派だ。けれどいつだって彼女の話に耳を傾けてきたのは自分じゃないか。彼女が悲しい思いをしていたとき、ずっとそばにいたのは自分の方じゃないのか。
比べるものがあるから、いけないんじゃないのか。
麻人がいなくて、自分だけしかいなかったら、千鶴はきっと自分を選ぶ。
どす黒い確信が胸を突き上げて息苦しい。額に浮かんだ脂汗を博樹は乱暴に拭った。
麻人は、徴兵に応じるだろうか。いや、麻人だって死にたくはないはずだ。いくら大人の顔をしていても、麻人は自分と同い年なのだ。そんな簡単に出兵するなどと言わないだろう。
年老いた母の世話をするのは長男の役目だから、自分はここに残りたい。自分もきっと後から行くから。そんな風に言うのではないだろうか。もっともらしく、悲し気な顔を作って。
あり得る。だがそうはさせない。
ぱちん、と音がしたのはそのときだった。
思考が破られ、はっとした自分の横で「熱っ」と麻人が身を唐突に引いた。
「どうした?」
覗き込むと、麻人は苦笑いをしてたき火を指さした。
「虫」
見れば、たき火の周りには小さな羽虫が数匹飛び回っていた。炎や電球、明るいものに引きつけられる習性からだろう。大した感慨もなく虫を眺めていると、炎の周りを飛んでいた虫がふわりと軌道を変えた。
まっすぐに炎の中へと身を投じていく。
虫が炎に飲まれた瞬間、ぱちん、と弾けるような音と共に火花が明るく花開いた。
「俺、行こうと思うんだ」
さらりと聞こえた声がなにを言ったのか、とっさにわからなかった。
呆然と見返すと、麻人は少し笑って空を指さした。
「俺が行くよ」
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