第二話 台風の夜に ――「僕」のおはなし――(後編)

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第二話 台風の夜に ――「僕」のおはなし――(後編)

     ホッちゃんの尋常ではない態度に気づいたのは、僕だけではなかったらしい。キョーイチ兄さんの向こう側、誰もいない家庭科室や配膳室を越えたさらに向こう側から、甲高い声が聞こえてきた。 「お姉さま、大丈夫ですか?」  ホッちゃんを慕う、しーちゃんだ。  しーちゃんは今、少し離れたところで、一人でポツンと頑張っている。  ちなみに、現在この学校にいるのは、キョーイチ兄さん、僕、ホッちゃんの三人と、しーちゃん、プー君。全部で五人だ。プー君はプー君で、しーちゃんとも、僕たち三人とも離れた配置になっていた。 「心配するな! お前は、そこで自分のするべきことに専念しろ!」  しーちゃんに対応したのは、呼びかけられたホッちゃんではなく、キョーイチ兄さんだった。  これが気に食わなかったらしく、しーちゃんは反抗的な言葉を返してくる。 「あら。私、今は身軽でしてよ。ウサギもニワトリもいませんから」  この学校は、校舎から少し離れたところでウサギとニワトリを飼っており、それがしーちゃんの担当だったのだ。でも「台風で飼育小屋が倒壊したら大変」ということで、確かに今夜は、ウサギもニワトリも生徒たちの家へ避難中のはず。  しかし、だからといって……。 「おい、『身軽』って、どういう意味だ! まさか、お前……」  キョーイチ兄さんも、僕と同じ心配をしたらしい。完全に、咎めるような口調になっていた。 「ええ、その『まさか』ですわ。お姉さまの身に危険が及ぶのでしたら、私が助けに向かいますわ!」  冗談じゃない! 僕たちは、それぞれの持ち場から動くことなんて、出来ないのに! 「あー。ホントは、おいらが助けに行けたら良かったんだがなあ。おいらが一番頑丈だし」  ここで、呑気なプー君の声。どっしりとしていて、プー君は僕たち以上に動けないはずだ。  しかも、 「すまんなあ。おいら、吐きそうだから、それを堪えるだけで精一杯で……」  プー君は、いつも水をいっぱい飲んでいる。僕たちから見たら、飲み過ぎなくらいに。  平常時は大丈夫だとしても、今みたいな時は苦しいのだろう。 「おい、プー! お前は何も考えず、ただ水を吐かないように努めておけ! この状況でお前が吐いたら、大惨事だぞ!」  プー君に対しても、しっかりと相手するキョーイチ兄さん。  でも、これが間違いだった。キョーイチ兄さんは、しーちゃんと話し続けるべきだった。  僕たちの注意が逸れた隙に、 「お姉さまー!」  叫び声と共に聞こえてきたのは、今まで耳にしたことがないような、バタバタとした音。 「……あ」  ガタガタ震えるだけで、もう喋れなくなっていたはずのホッちゃんまでもが、驚きの声を上げるほどだった。  なんとしーちゃんは、本当に僕たちの方へ近づいてきたのだ! 「おい、馬鹿、やめろ! 無理して動いたら……」  そうだよ、キョーイチ兄さんの言う通り! そもそも僕たちは、動くべきじゃないんだ。ましてや、この強風の中……。 「大丈夫ですわ! 今日の私は……」  と、しーちゃんは言いかけたのだが、 「きゃあっ!」  悲鳴と同時に轟音がしたと思ったら、先ほどまでの『バタバタ』が聞こえなくなった。  風で飛ばされた? あるいは……。  僕の心の中で、冷や汗が流れた瞬間。  キョーイチ兄さんの手が離れるのを感じた。 「えっ? どういうこと?」 「キョージ、俺も動くぞ。あいつを放ってはおけないからな。俺が助けに行く」 「えっ? でも、おそらく、もう……」  キョーイチ兄さんだって、わかっているはずだ。今さら手遅れだろう、と。  それでも。  それでも行くのが、キョーイチ兄さんなのだ。 「もしもの場合は、あいつの意志を引き継いで、俺がホッちゃんを守る方へ回るのも良いかもしれん……」  無理して明るく喋るキョーイチ兄さんだったが、 「……後は任せたぞ、キョージ」  その声には悲壮感が漂っているように、僕には聞こえたのだった。    
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