六章 疑念の先

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「やはり……お前が鴎花だったのか」  そう言った時のイスカの蒼い瞳は、怒りよりも悲しみの光を強く灯していた。  鴎花は急須を持ったまま固まってしまい、イスカは額を抱えて唸ってしまった。  恐らく彼はその一言を口にする最後の瞬間まで、自分の推察が外れていることを祈ってくれていたのだろう。  しかしその祈りは天に届かなかった。 「……鴎花が昨日から行方不明だ。アビが浮き島から連れ出したらしい。まぁ、それ自体はいいんだが、それを追っている中で、あの女の方を雪加と呼ぶ者が出て来てな」  彼が落胆していることは火を見るより明らかだったから、鴎花はもう何も言えなくなってしまった。  頭が真っ白とはまさにこのことで、せっかく淹れた茶をイスカに差し出すことはもちろん、自分が何をするべきかも分からなくなっていた。 「お前があの娘のことで、俺に何か隠しているのは前から知っていたんだ……」  イスカは喉の奥から言葉を絞り出していた。  声が震えている。  彼がこんなに頼りない声音を発するのを、鴎花は初めて聞いたかもしれない。 「でもそれは、あの娘が皇族の血を引いているから……お前にとっては従姉妹か妹なのではないかと思っていた」 「……」 「俺は皇族を皆殺しにしていたからな。あの娘の素性が露見すれば殺される。だからこそお前は侍女のふりをさせて手元に置いているのだとばかり……」  まさかあっちが翡翠姫だったとはな、と土気色の顔をしてイスカが言う声を聞いた時、鴎花はようやく持っていた急須を盆に戻すことができた。  それは鴎花がもう何度も思い描いてきたことだった。  いつか、この人に真実が露見してしまう瞬間のことを。  忌まわしきその時にはどうしたらいいのか、何も考えてこなかったわけでは無いのだ。  鴎花はイスカの前で額を床にこすりつけ、小さくなって詫びた。 「……陛下のおっしゃる通りです。私は翡翠姫の侍女の鴎花です。これまでずっと陛下を謀っておりました。陛下が翡翠姫を得ることの重要性を理解しておきながらも身分を偽ったことは、威国(ウィーグォ)の存亡にも関わる大罪。どのような処分でも謹んでお受けします」 「そんな話はしていない!」  鴎花の頭の上にはイスカの苛立った声が降ってきた。  彼も大いに混乱しているのだ。  鴎花が偽物だった信じたくないあまり、本当に偽物であった場合の対処法を彼は何も考えていなかった。  その証拠にイスカはこの後に何と続けていいのか言葉が出てこず、二人の間にはこの後、重苦しい沈黙だけが流れることになった。  イスカを落胆させてしまったことが、何より心苦しい。  彼が鴎花を愛してくれたのは、翡翠姫故だったのに。  偽物だったと知って、騙されていたと知って、この人はどれだけ鴎花に失望してしまったか……。  鴎花はもう、イスカを直視することすら恐ろしくて、ただひたすらに頭を下げることしかできなくなっていた。  そんなところへ、ウカリがやってきたのだ。  イスカはもう休んでいいと命じていたはずなのにやってくるなんて……小寿にも分かるよう華語で言われたことだったから、理解できなかったのだろうか、と鴎花は一瞬思ってしまったが、違った。  ウカリは今すぐイスカに伝えねばならないことが起きたから、言いつけに背いて部屋に入ってきたのだ。 「……分かった。通せ」  ウカリから鴉威の言葉で報告を受けたイスカは渋面になり、それでも頷いた。  それにより彼女は、香龍宮への訪問者を部屋の中へと招き入れ、鴎花は驚愕することになるのだった。 「鵠国皇帝、燕宗が五女、(チャオ)雪加(シュエジャ)でございます。広大なる北の大地の雄にして中原の王にあられます陛下にお目通りが叶い、恐悦至極に存じます」  長ったらしい挨拶をして、イスカの前で恭しく膝をつき、頭を下げたのは、翡翠色の絹服を身に纏った雪加だった。  優雅な挨拶を施した彼女は、絶句する鴎花へは目を向けることもなく「妾こそが真の翡翠姫でございますよ」と名乗った。  その口元には微笑みさえ浮かべており、本物の迫力というものを、鴎花はまざまざと見せつけられることになってしまった。 「今まで真実を語ることができずにいた無礼はどうぞご容赦くださいませ。今よりこの愚かな侍女に代わり、妾が心を込めてお側に仕えさせていただきましょうほどに」  切れ長の眉墨を引き、目尻を淡い朱色で染め、唇には目が醒めるほどの鮮やかな紅を差し、そして白粉(おしろい)で更に際立つ滑らかで白い肌……。  その艶やかな姿はまさに、中原の宝玉、翡翠の姫とかつて嘴広鸛が歌に詠んだ絶世の美女だった。  それに引き換え、自分はなんとみすぼらしい容貌なのだろう。どうして鴎花ごとき痘痕の女がこの人に成り代われるなどと錯覚したのか、恥ずかしさしか覚えない。  翡翠のごとく光輝く、圧倒的な美しさを誇る雪加の前では言葉を発することもできず、鴎花はただただ平伏するしかなかったのである。
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