七章 真相の底

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 秋沙に会うのは何年ぶりだろう。  眼病を患った秋沙は後宮での務めを果たせなくなり、娘を残したまま実家に帰っていたはずだった。  それが木京に来ているとは知らなかったが、彼女ならきっと雪加を助けてくれるだろう。  そして雪加の無事を喜び、幼い日のように優しく抱きしめてくれるに違いない。  広鸛の言っていた家はすぐに見つかった。昨日、明家の屋敷へ来る時に五重塔が近くにあることは目にしていたし、確かに寺の山門を入ってすぐのところに粗末な小屋が建っていたのだ。  小屋の脇には広鸛が割ったらしい薪がうずたかく積まれており、広鸛はこの寺で下男として奉公し、秋沙と共に薪小屋に住まわせてもらっていたようだと分かった。  小屋の辺りに人の気配は無いし、すれ違った人がいても、町娘の格好をした女に違和感を抱くことはない。  雪加はさっそく家の戸をそっと開けた。  この小屋は元は薪小屋であるため明り取りの窓が無く、家の中にはすきまから漏れてくる光しかないのでとても暗い。そしてその狭く埃っぽい暗闇の中では、誰かが蠢く気配があった。  視力を失った彼女に灯りは不要だったのだろう。雪加の目が暗さに慣れると、中年の女が土間の上に茣蓙(ござ)を敷いて座り、自らの足指を使って縄を編んでいることが分かった。  その身なりは貧しく、束ねた髪の毛にも艶が無かったが、彼女の面影には覚えがあった。  秋沙は元々宮中で噂になるほど、美しい女であった。  その品のある、整った顔立ちはどれだけ薄汚れた格好をしていても、隠しきれるものではないのだ。 「……秋沙?」 「そ、その声は?!」  目を病んでいても、音は聞こえる。それに光の方向も分かるようで、秋沙は顔を上げて雪加の方を見た。  焦点の定まらぬ黒い目が声の主を求めて彷徨い、その姿を見た瞬間に雪加の喜びは頂点に達した。 「そうじゃ、妾じゃ! 雪加であるぞ」 「ど、どういうことで?!」  突然抱き着いてきた雪加に、秋沙は大いに混乱しているようだった。  無理もない。眼病を患っている彼女は雪加の顔がろくに見えなかったのだ。  それに気付いた雪加は、とりあえず戸を閉めて部屋を元通り薄暗くした後、秋沙の手を取り、自分の腕を触らせた。  いくら目が見えなくても。このきめ細やかな絹のような肌を感じれば、きっと雪加であると分かってくれよう。  そして雪加の考えの通りに、秋沙は白く濁った眼を大きく見開いたのだった。 「なんと、姫様……よくぞご無事で、かような場所へ」 「うむ。秋沙も元気そうで何よりじゃ。妾を案じて木京へ出て来てくれたのだと広鸛に聞いたぞ」 「まぁ、広鸛殿に」 「その心がけ嬉しゅう思う。あぁ、秋沙。目も見えぬのに、本当によくぞこごまで来てくれた」  雪加は改めて秋沙の首に抱きついたが、彼女の方はいまだ喜びよりも戸惑いの中にあり、おろおろと虚空に手を伸ばした。  雪加ではない、他の誰かを探している。 「で、では鴎花は? 一緒では無いのですか?」 「今は妾一人じゃ。あの者は今、妾に代わり僭王の妃を務めておる」 「えぇ?!」 「安心いたせ。あの男は鴎花を翡翠姫だと勘違いしておる上に変わり者でな、痘痕のある女が愛しゅうてならぬらしいのじゃ。ゆえに後宮へ残しておいても鴎花が命を取られることはあるまいて」  鴎花が翡翠姫になり替わろうとして雪加を軟禁していたことは伏せ、優しい表現で現状を説明してやったのは、大好きな秋沙のためだった。  秋沙にとって鴎花は実の娘なのだ。彼女には主君である雪加を大事にする気持ちとはまた別に、母娘の情というものがあるだろう。  それを察してやるくらいの優しさは雪加にもある。  だのに秋沙ときたら、鴎花がこの場にいないことを悟った途端、突然手首を翻し、雪加の頬を叩いてきたのだ。 「な、何をする?!」  不意をつかれた雪加はその場に倒れたが、秋沙はこれまでとは打って変わり、眉を吊り上げて雪加を睨みつけてきたのだった。
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