七章 真相の底

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「身分をわきまえなさい。姫様を蛮族に差し出して、自分だけがのうのうと抜け出してくるとは、どういう料簡ですか!!」 「何じゃと?!」  雪加は何を叱られているのか、さっぱり分からなかった。  雪加は叱られるようなことなどしていないし、大体、秋沙は今、なんと言ったのだ?  姫様を蛮族に差し出して……?  一体どういうことだろう。秋沙は目だけではなく、頭までおかしくなったのだろうか。  しかし秋沙は視力を無くした眼を雪加へ向け、その体を掴んで前後に強く揺さぶってきたのだ。  その白目は濁って光を失っていたが、正気を保っていなかったわけではない。  秋沙はこれまで雪加に向けていたのとは明らかに違う、荒い声音で、滾々(こんこん)と説き伏せるように訴えてきた。 「よく聞きなさい。そなたが鴎花なのです。正真正銘の姫様は、疱瘡の痘痕を残してしまった鴎花の方。そなたは私の産んだ娘です」 「え……」  秋沙が並べた言葉は雪加にとってただの単語の羅列であり、その内容は到底理解しがたかった。  しかし雪加がついていけていないことを気にかけないまま、秋沙は言葉を続けた。視力の落ちていた彼女は、雪加の呆然とする顔がろくに見えていなかったのだ。 「姫様が疱瘡を患い、あの痘痕を残してしまってから、皇后陛下は大いに嘆かれました。美しいものを何より愛でられるお方ですから、どうしても現実を受け入れられなかったのでしょう。故に、そなたに目をつけました」  崔皇后は、秋沙に対し鴎花と雪加を入れ替えるよう命じたのだという。その頃二人は二才と三才。鴎花の方が半年ほど早く生まれていたが、背格好はほとんど同じだったから入れ替えても分からない、と皇后は考えたのだ。 「姫様の痘痕を消すことができれば、すぐにも戻してくださる約束でした。それに私が応と言わなければ、そなたと姫様、二人ともを殺し、自分に娘などいなかったことにするとまでおっしゃられ、到底拒むことはできなかったのです」 「そんなこと……」 「しかし疱瘡でできた痘痕を消すことはあまりに難しく、どれだけ手を尽くしても叶いませんでした。その間も、そなたは恐れ多くも姫様の代わりとして成長してしまい……真実を打ち明けようにも幼いそなたに影武者としての演技などできるわけもありません。ならばいっそ、このまま自分が雪加姫なのだと思い込ませておいた方が万事うまくいくのではと私も考え、恐れ多いことながら姫様には私の娘と偽っていただくことにしたのです」 「……」 「分かりましたか? そなたは鴎花です。姫様の乳姉妹にして臣下なのです。そなたのこれまでの姫様への不遜な態度、不忠をお詫びするためにも、これからは姫様の為に心を込めてお仕えしなければいけません」  秋沙は自分の産んだ娘が皇女様を蔑ろにしていることを、いつも苦々しく思っていたらしい。  しかし皇女として育っている娘に対し、あからさまに咎めることはできなかった。  その鬱屈した想いが、全てを打ち明けた今、怒涛のように溢れて来て止まらなくなってしまったのだ。 「分かったら、今すぐ後宮に戻って姫様を救い出してくるのです。翡翠姫が蛮族の王に囲われているとは噂に聞いておりましたが、まさかそなたではなく、姫様の方だったなんて……本当に、なんということでしょう。このような日が来るのなら、二人を入れ替えたことも意味があったのかと心を慰めていたものを、まさか私の娘が姫様を差し出して我が身の安泰を図っていたとは、なんと嘆かわしい……」 「……ならぬ。そんなことは認めぬ」  ゆらゆらと体をふらつかせながら立ち上がった雪加は、首を小刻みに横に振り、唇を戦慄かせた。  そして足を床に強く叩きつけ、地団駄を踏む。  踏みすぎて靴のつま先が土間を固めた土にのめり込むほど、そう何度も。 「妾こそが翡翠姫である。中原の宝玉と謳われし、美しい姫は妾の他におらぬ……」 「これ、鴎花!」 「鴎花ではない!!!」  この暗闇を切り裂くほどの甲高い声を上げた雪加は、秋沙を黙らせようとして、ほとんど無意識のうちに彼女の首に手をかけていた。 「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! 妾は翡翠姫じゃ。そんな戯言は認めぬ!! 翡翠姫なのじゃ! 妾は他の何者にもならぬ。何を今更……」  己の指が秋沙の皺の多い首に食い込み、爪の先から血が滲んでこようとも、雪加は腕に込めた力を緩めることをしなかった。
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