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「あぁそうだよ。俺は罪人だからさ」
アビは頷くと同時に、眉尻をびくんと跳ね上げた。自分と同じ色の瞳に仄暗い影が走るのを鴎花は目撃することになった。
「……そうだ。お前を滅茶苦茶にしてやろうか。そうすれば、八哥は俺を斬ってくれるかもしれない」
突然の思いつきをアビはすぐさま実行に移す。鴎花の身体を押し倒して茣蓙の上へと組み伏せてきたのだ。
しかし鴎花は咄嗟に体を丸くしてそれを拒んだ。
「困ります。私は陛下以外の方に、この身体を捧げるつもりはありませんから」
「……俺も別に痘痕だらけのお前なんか抱きたくない」
鴎花が悲鳴の一つも上げず、淡々と拒絶したので、アビはつまらなくなってしまったようだ。元々その気も無かった彼は、鴎花の身体を放り出して、そのまま茣蓙の上に寝そべる。
それは構わないのだが、そうすると鴎花が座る場所が無くなるので困ってしまう。
「あの……一人で茣蓙を占領しないでください」
「これは俺が貰って来たんだぜ」
「ですが石床の上に直接座るのでは、体が冷えます」
「じゃあ、お前はここから出ればいいじゃないか」
「そういうわけにもいかないとは、先ほど説明したとおりです」
「面倒な女だな、お前も」
「とにかくそこに座らせてください。私がお腹を下して、そこの壺の中を汚物でいっぱいにして耐え難い悪臭を放ってもいいのですか」
「……しょうがねぇなぁ」
鴎花があまりにしつこく要求するので、アビは起き上がると、渋々半分を譲ってくれた。そして今度は背中合わせで膝を抱えて座ることになる。
そしてこんなやり取りをしているうちに、鴎花にはアビのことがなんとなく分かってきた。この青年はやたらと鴎花に敵意を持ち、ことあるごとに突っかかってくるが、実は鴎花自身のことを嫌っているわけでは無いらしい。
単にイスカのことが好き過ぎるだけなのだろう。だから兄を変えてしまった鴎花のことが気に入らない。ただそれだけなのである。
少しばかり彼に気を許した鴎花は、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「あなたは姫様のことを、どのように考えているのです?」
「それ、今の俺に聞くのか?」
アビはむっとした顔をして、直後にこれ見よがしなため息をついた。そのくせ一度喋り始めると、止まらなくなるのだ。
「俺がどう思っているかなんて、何の意味もない話だぜ。あいつは今はもう、八哥の正妻に収まって翡翠姫でござい、ってふんぞり返ってるわけでさ。お前を身代わりにしてまで蛮族の王妃にされるのを嫌がってた奴が、自ら八哥にすり寄るなんて、どういう神経してるんだよ。とんでもない尻軽女じゃねぇか」
文句が溢れてくるということは、それだけ彼女を失ったことに不満を抱いているということだ。
実はこの男は雪加のことを本気で好いていたのだろうかと鴎花は疑ったが、その直後「俺はあいつのことなんて嫌いだよ。大っ嫌いだ」と真っ向から否定されてしまった。
「だってあいつさぁ、俺の母にそっくりなんだぜ」
「お母さまに?」
「あぁ。華人がこの世で一番優れた民族だって思い込んで、それを俺に押し付けてくる人だった。高慢ちきで、気位ばかり高くて……そうさ。俺は嫌いだからあのお姫様を抱いたんだ。華人としての誇りを、完膚無きまでに壊してやったんだ。なのにあいつは全然揺るがない。いつまでも誇り高い翡翠姫のままで、一向に死のうとしない。全く……そんなとこだけ、母と違うなんて、おかしくないか?」
「そんな理由で姫様を……?」
それはあまりに身勝手な言い分であり、鴎花は驚いてしまった。
「あなたが翡翠姫を娶れば、この中原を治める王としての権利も生じるのに。そういうことを考えたわけではなかったのですか?」
鴎花の問いかけに、アビは一瞬呆けたような顔をし、次の瞬間、笑い出した。
「なんだそりゃ。俺がそんな真っ当な野心を抱くかよ」
「……それ、姫様も同じことを言っていましたね」
鴎花が指摘すると、アビは途端に憮然とした顔になり、明後日の方向を向いてしまった。
彼女が自分のことを意外に理解していると知り、どうにも決まりが悪かったようだ。
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