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三.
イスカが地下牢から火急の知らせを受けたのは、ちょうど香龍宮にて雪加の一件の後処理について指図していた時だった。
「アビが人質に取られて、俺に助けを求めている?」
しかもよくよく聞けば、それは鴎花による犯行であるという。
鴎花が地下牢へ姿を見せたことは、午前中に報告を受けていた。
王妃らしい人物が入牢したいと言ってやってきたがどうしたらよいかと、牢屋番の長から問われたのだ。
イスカは本人の好きにさせてやれと答えた。
彼女の居場所さえ分かればそれでいい。
イスカにはこの時余裕がなかった。
政務は溜まっていたし、これから鴎花を、そして真の翡翠姫を名乗る雪加をどうすればいいのかを考える時間も足りなかった。
それで一旦、彼女のことを後回しにしたらこの様である。
「……すぐ行く」
イスカは眉根を寄せ、苦い顔をして頷いた。そして知らせに来た牢屋番の男と共に地下牢へと向かい、歩きながら詳しい状況を聞いた。
事件が起きたのは、牢屋番達が夕餉を配りに各牢屋を回っている折のことだそうだ。
地下牢の奥の方からけたたましい悲鳴が聞こえてきて駆けつけると、脱獄してのけた鴎花によってアビが人質に取られ、イスカを呼んでこいと暴れだして手に負えない、とのこと。
しかしイスカが実際にその現場に到着してみると、受けた説明とは若干の差異があることに気付いた。
二人が陣取っていたのは地下牢の細い通路。灯明皿を足元に置き、通路を塞ぐように立っているから、背後へ回り込むことができないのはともかくとして、暴れているのは実質アビだったのだ。
「うわぁ、みんな近寄るな!! 俺が殺されるだろうが!! 早く八哥を呼んできてくれ!!」
鴎花は背後から腕を回してアビの首を抱き、鉄の棒のようなものを首筋に当てているようだが、どうにもアビの付属品的な雰囲気は否めない。
助けに入ろうとしている牢屋番達を寄せ付けぬよう、手足をばたつかせているのはむしろ人質の方である。
そしてアビばかりが喋って鴎花が何も言わないのは、言葉が通じないと知っているからだろう。ここにいる牢屋番達は全員、華語がろくに分からないのだ。
「……何をやっているんだ、お前らは?」
二人の前へ歩み出たイスカは、呆れ返りつつも冷静さを装って問いかけてみた。
「陛下……まずは、人払いをお願いいたします」
強張った顔つきをした鴎花は後ずさり、近づいてきたイスカとは距離を取りつつ要求してきた。
これだけの大立ち回りを演じておきながら、当の本人が今にも倒れてしまいそうなほど膝を震わせている。
この茶番劇を成功させようと、彼女も必死なのだろう。
「……分かった」
イスカは鴎花の要求を呑んで牢屋番達を下がらせ、そして自身は今降りてきたばかりの階段の上に腰を下ろした。
距離を取っているし、イスカが座っていれば少しは警戒感を緩めてくれるはずだ。
「まずはその物騒な物を下ろせ。お前達の下手な芝居は見るに堪えない」
イスカが鴎花に声をかけると、彼女はアビと視線を交差させ、それから彼をあっさりと解放した。手にしていた錆びた鉄の棒も捨ててしまう。
しかし命の危機から脱したはずのアビは、途端に唇を尖らせて文句を言って来た。
「下手ってなんだよ。これでも迫真の演技だったのに」
「どこがだ。皆も呆れていたぞ」
大体、アビが鴎花に捕まるという設定に無理があるのだ。
これまで自らの命を顧みず、数々の武勲を上げてきた勇敢な男が、どうして細腕の女に屈しているのか。
しかし無理がある設定だからこそ、牢屋番達はこれがどういう状況なのか理解できず、とにもかくにもイスカを連れてくるに至った。
演技力は無くとも、この異母弟には油断ならない知恵があることをイスカは知っている。
二人の狙いが一体何なのか、気を引き締めて向き合わねばなるまい。
「それで何が望みなんだ? 翡翠姫と偽っていた事を許してほしい、元に戻してくれとでも言うのか?」
鴎花が今更そんなことを願うとは思えなかったが、イスカは敢えて彼女を試すようなことを口にした。
それに対し、鴎花は冗談で応じる余裕など無いようだった。石床の上に膝をつき、畏まって平伏する。
「私からのお願いは二つあります」
「言ってみろ」
「燕宗陛下を解放してくださいませ」
「……」
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