七章 真相の底

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 どうして彼の存在を知っているのだ、とそのまま聞きかえすのは愚かな行為であろう。  カマをかけられている可能性がある。  しかし彼女は至って真剣な様子だった。燕宗が捕らえられていることを疑っていないのだろう。 (……この牢の奥で顔を合わせたのか)  イスカは奥歯を強く噛みしめた。  最奥の牢屋周辺には他の囚人を入れるなと命じていたから、まさか鴎花が燕宗の元までたどり着くとは思っていなかったが、現実として彼女は皇帝と出会ってしまったようだ。  そしてその存在を知ってしまったがゆえに、アビを巻き込んでまで彼を助けようとしているのだ。 「……」  腕を組んだまま押し黙ってしまったイスカに対し、鴎花は平伏したままひたすらに恩赦を願った。 「燕宗陛下は壺を作ることだけが生き甲斐なお方です。陛下に仇なすようなことは決していたしません。万一陛下に怪しい素振りでもあれば、この命はいつでも差し上げます。ですから、どうぞお願いいたします」 「……お前はいつまで翡翠姫ごっこをやっている? 皇帝はお前の父親でもなんでもないんだぞ。どうしてそこまでしてあの男を助けようとする?」 「方便であろうと、一度は父とお呼びした方です。お救いしたいと思うのが当然です」 「華人の当然は、俺には理解できない」 「お願いいたします」  鴎花は余計なことを言わない。ただひたすらに頭を下げる。  そういうひたむきさにイスカが弱いことを彼女は知っているし、下手に理屈を並べ立てるのでは解放されるわけが無いとも理解しているのだろう。  確かにイスカが燕宗を解放してやる利点は何一つない。  燕宗のことはイスカが木京へ攻め込む直前、都の北に位置する景徳(ジンデェア)寺の境内で小休止を入れた折に捕まえた。  彼を見つけたのは全くの偶然である。  その時アビは斥候として他へ走らせており、イスカは代わりにピトとフーイの二人を連れていたのだが、寺の中で粘土をこねて壺を作っていた三十代か四十代くらいの髭を生やした男が、馬蹄の轟に気付いて寺の中から出て来たのだ。  そしてイスカらが鴉威(ヤーウィ)の軍勢であることに気付いた彼は、驚きすぎてうっかり自らが燕宗であると口走ってしまった。  皇帝の顔など知らなかったイスカは半信半疑ながら彼を捕まえ、直前の戦で手傷を負っていたピトとフーイに見張りを任せてから木京へ乗り込んだのだが、後日この男が本当に皇帝であると分かり、以来地下牢に入れているのである。  ピトとフーイだけでなく、鴉威の者達のほとんどが華語を使えないことが幸いして、今のところこの秘密を守ることができている。  もちろんイスカ自身も秘密の漏洩には用心して手を打ってきた。  燕宗を捕まえた瞬間を目撃しているピトとフーイには、王妃の見張りという新たな役目を与えることで自分の手元に置き、余計なことを言わぬかその動向を注視しておく。そしてうっかり燕宗本人が身分を明かしてしまわないように、牢屋番達も鴉威の者だけに限り、華語を操れる者は置かなかった。  そうまでして燕宗の身柄を確保しておいたのは、全て威国の為である。  アビが予測した通り、イスカは鴉威の民が帰郷を望む声を封じるため、そして華人(ファーレン)達が鵠国(フーグォ)への忠誠心を失うように仕向けるために燕宗の存在は明かさないことに決めた。  さらには彼の存在を郭宗だけに伝え、父帝を解放されたくなければ和平を結べと圧力をかけた。  燕宗が皇帝として無能であることは分かっていたが、有用な駒であることは間違いない。地下牢から出すなど、もってのほかである。  しかしこうやって目の前で平伏する鴎花の姿を見ると心が揺らぐ。  燕宗の存在を、よりにもよってアビと鴎花に知られてしまったのは、大きな痛手だった。  二つの言葉を自由に操れるアビは、燕宗が密かに捕らえられていたことを華人達にも鴉威の民にも広めることができる存在である。  そして鴎花は今ここでイスカが応と言わなければ、今後もかつての主君である燕宗を救い出そうと試みるはずだ。  そういう女なのである。  無論この二人を今この場でイスカが斬り捨てれば、何も問題は無い。これからもずっと秘密を守ることはできるだろう。  実際、イスカは皇帝を捕らえたその場で、景徳寺の住職を斬って捨てていた。  死人に口なし。  秘密を守るためなら、そして威国の安定を願うなら、剣を振るうことは躊躇うべきではない。  それは分かっているが、この二人に対してまで、そんな非情な選択肢を取れるはずは無いのだ。
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