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「……燕宗は粘土をこねるだけでなく、登り窯の扱いにも長けているのか?」
これはとりあえず確認するだけだぞ、と自らの心に言い聞かせて、イスカは問いかけた。
なのに鴎花にはピンとくるものがあったのだろう。前のめりになり、唾を飛ばす勢いで答えた。
「はい、それはもう! 陛下は登り窯の改良についても率先して行っておられました。ですからその構造についてもよくご存じでいらっしゃいます」
「……」
「陛下は壺を焼く時には、薪をくべるところからなさっておられましたし、釉薬を塗ることも人任せにせず、ご自分で全て……」
「……」
「燕宗陛下は陶芸のことだけを愛しておられる方なのです。どうか……どうか、お聞き届けくださいませ……お願いいたします」
最後は泣き落とされた。
いけない。
こうなるとイスカはもう勝てる気がしない。
大体、鴎花の傍らに正座し、黙然と兄の決断を待つアビの視線も痛い。
兄がこの女の願いを聞き入れないわけが無いと、この聡い弟は確信を抱いている。
平伏する鴎花が漏らす嗚咽の声と、アビの強い視線に揺さぶられたイスカは頭を抱えた。そして低い唸り声を上げつつも、妥協案を示してやるしかなかったのだった。
「……鴉威の地にも粘土がある。燕宗があれから壺でも椀でも、何かしらのものが作れるのなら考えてやってもいい」
「!!」
「だが鴉威の地は木京より遥か遠く、寒さも厳しい。柵や手鎖で拘束されていなくても脱出は叶わぬ。二度とこの中原の土を踏めぬものと思え」
泣いていたはずの鴎花が一瞬で喜びの色を顔いっぱいに広げたものだから、これはそんなに甘い話では無いぞと釘を刺したつもりだったが、彼女は意に介さなかった。
彼女は元々燕宗に陶芸を続けさせてやることだけを願っていたのだ。場所はどこであろうと問題ない。
「ありがとうございます! すぐにも陛下にお伝えしてまいります!」
大いに感謝し、階段を駆け下りようと身を翻そうとした鴎花に対し、イスカは自らが身に着けていた銀の首飾りを外して渡した。
細い鎖を編んで作られた首飾りは、その編み目の中に二本の小さな鍵が忍ばせてあった。イスカがこれまで肌見放さず保管していたものだ。
「これがいるだろう。あの牢屋の入り口と手鎖の鍵だ」
「ありがとうございます、陛下。本当に……本当に感謝いたします」
こうして彼女が階段を降りて行ってしまうと、後に残されたのはイスカとアビの兄弟だけになってしまった。
妙に気まずい空気が二人の間には流れている。
イスカは強引な手で要求を呑まされてしまって憮然としているし、その強引な手を計画した張本人も、実は罪を犯して入牢中だったはずであり、そもそも鵠国の皇帝の世話を焼いている場合だったか?、という疑念がある。
「……へぇ。鴉威で粘土が採れるなんて初めて聞いたぜ」
地下牢の澱んだ空気以上に重く纏わりつく沈黙に耐えられなくなったアビは、苦笑を浮かべながら兄に向かって話しかけた。
「鴉威の地は痩せている。寒さも厳しくて、生えてくるのは草だけだ。まさかその地下に粘土が眠っているなんて、本当なのか?」
「それは明妃が教えてくれたんだ。そなたらは気付いておらぬかもしれぬが、この辺りの土は粘土であるぞ、と」
石段に座ったまま、イスカは弟に種明かしをした。
明妃は偶然にも、幼い頃に焼き物を作った経験があったのだ。故に鴉威の土の質がその時と同じものであることに気付くことができた。
しかし彼女にできたのはそこまでだった。一介の女官であった明妃には焼き窯の知識まで無かったので、みつけた粘土をこねて焼き、陶器を完成させるには至らなかったのだ。
「でも明妃はこの粘土を生かして、いつか陶器を作りたいと言っていたよ。鴉威に産業があれば、俺達も豊かに暮らせるのではないかと考えてくれたんだ」
「そうなのか?」
「確かに彼女は鵠国に帰りたがっていた。鵠国の役人が鴉威の地を訪ねてくるたびに大きな声で訴えていたんだから、それは俺も知っている。だけどそれは、陶芸の技術を持った職人を引き抜いて来るためでもあったんだ」
お前は小さかったから知らなかっただろうけどな、とイスカは懐かしそうに顎を撫で回しながら異母弟を見つめた。
アビはといえば、初めて聞く話に目を丸くしている。
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