七章 真相の底

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四.  鴎花(オウファ)が夜中に香龍(シャンロン)宮へ戻ってくると、小寿(シャオショウ)は我がことのように喜んでくれた。  ウカリもやれやれといった顔をする。  二人とも雪加(シュエジャ)の侍女でいることには、よほど骨が折れたのだろうか。  そういえば軒下に吊るしていたアーロールが全て無くなっていた。そして部屋の中には香炉が置かれ、白檀の優雅な香りが満ち溢れていた。  どうやら雪加は威国(ウィーグォ)の王妃としてではなく、鵠国(フーグォ)の皇女として、思うがままに振舞ったらしい。  それでは通用しないと、これまでの鴎花の姿から学んでくれなかったのは残念であり、しかし彼女ならばさもあらん、とも思う。  誇り高い皇女として育てられた彼女は、それ以外の生き方を知らないのだ。 (……それにしてもどうして突然、翡翠姫であると名乗る気になったのかしら?)  その意図は今となってはよく分からないが、姫君として過ごすことができたのがたった一日だったことには、憐れさも感じる。  雪加はこれからどうなるのだろう。  先ほどのイスカは鴎花の前での明言を避けたが、どうやら雪加をアビに預け、その命まで取るつもりは無さそうだと思えた。  だがイスカはまだ雪加が本物だと思っているはずで、それなら彼女を手放すとはどういう料簡なのだろう。  翡翠姫を野に放てば、彼女を担いで反乱が起きる事も懸念されるわけで、イスカがそんな危ない橋を渡るとは思えないのだ。  しかし弟の想いを考慮すれば、兄としてむざむざと斬り捨てることができなかったのかもしれない。  では鴎花は?  イスカは鴎花を香龍宮へ戻したが、それはこれから改めて処分を下すためかもしれない。まだ安心はできない。  実は鴎花が本物の翡翠姫でした、と訴えれば全てが丸く収まりそうだが、彼が納得してくれるかが心配だ。  何しろイスカの立場から考えれば、翡翠姫は偽物だったと言われてから、一日も経たぬうちにやっぱし本物でしたと言われるのだ。いい加減にしろと怒り出すかもしれない。  それだから燕宗(イェンゾン)の解放を求める際には「本物の翡翠姫云々の話は伏せておけ、それでもお前が頼み込めばなんとかなるはずだから」とアビに言われ、鴎花もその通りにしていたが、今はもう告げてもいいはず。それにもしかしたら、アビや燕宗が既に話をしているかもしれない。  しかし鴎花が皇女だったなんて……実際のところ、肝心の鴎花自身がこの事実にまだしっくり来ていない。そんな状態でイスカにまで納得してもらえるだろうか。  落ち着かない気持ちのまま、鴎花は朝を迎え、更に夜まで待ちぼうけることになった。  イスカはアビを送り出したその足で、表宮へ向かってしまったからだ。  彼は恐らくこの二日間、徹夜が続いているはずだが、そんな時でも政務を優先する。  その勤勉さには恐れ入るしかないが、さすがにくたびれ果ててしまったようで、日が暮れてから香龍宮へ姿を見せた彼は開口一番に「今日はだめだ。まるで仕事にならなかった。書面を見ただけで意識が飛ぶ」と愚痴をこぼした。  その目の下には隈ができていて、本当に疲れ切っている様子である。  だからすぐにも寝かせてあげたかったのだが、鴎花も彼を待ちわびていたのでそうもいかない。  握り飯だけの軽めの夕飯を用意し、侍女達を下がらせた後、鴎花は改めてイスカに礼を言った。 「昨日は寛大なご処分、ありがとうございました、陛下」  侍女達は下がらせたが、どこで秘密が漏れるかわからない。鴎花は敢えて燕宗という固有名詞を省いて礼を言った。 「構わん。このところ体が弱っていくばかりだと報告を受けていて、身柄をどうするべきかと俺も内心困っていたからな」  握り飯にかぶりつきながら、イスカは頷いた。  燕宗の解放如何については悩み抜いたが、一度決断してしまえばくどくどと後を振り返らない。イスカの良いところである。 「ここまで生かしていたから最近は使い途も考えるようになったが、本当はすぐにも殺すつもりだったんだ。一人で勝手に都を離れて趣味に(うつつ)を抜かすとは、あまりに浅はかではないか」  どうやら同じ人の上に立つ者として、燕宗の姿勢を許せない気持ちもイスカにはあったようだ。 「しかし俺が手を下すと華人(ファーレン)達の恨みを買う。だからあの男が逃げたと印象付けた、もう少し後で……そうだな、世情が落ち着いて、威国の支配がゆるぎないものになってから殺せばいいと思っていた。だが時が経つほど、俺の中には躊躇いが生まれた……お前のせいだ」  恨めしいというよりは降参の体で、彼は深い吐息を漏らした。
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