八章 天帝の娘

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「誠に申し訳ございません。私めは妃殿下が翡翠姫にあらぬことを察していながら、それを陛下にお伝えすることを怠っておりました」  計里の話によると、彼はかなり早い段階で本物の翡翠姫らしい娘に後宮内で接触しており、ゆえに鴎花が翡翠姫ではないことを分かっていたそうだ。 「恐れながら、陛下がこの国の主となるべき血縁上の理由はございません。しかし陛下は王に相応しき力量を備えておられます。そのようなお方が国王であるのなら、妃殿下もまたそのお人柄やお心映えで選ばれても良いのではないかと……今となっては、卑小の身でなんとだいそれたことを願ったのかと身の縮む思いでございますが、そんな勝手なことを考えてしまったのです」  しかもいつの間にやら翡翠姫らしい娘の方は後宮から姿を消してしまっていたし、鴎花は香龍宮に移ってから子を身籠るし、これで王妃様は安泰だと、計里は心密かに喜んでいたらしい。  まさか伝承の通り、水柱が噴き出してくるとは思ってもいなかったのだ。 「私めの判断の甘さからこの国を滅亡の危機に追い込んでしまうとは、弁解の余地もございません。そして今更、翡翠姫にあらずとは言い出せぬ妃殿下は、皆の声に推されて贄になるご所存かもしれませんが、そんなことをしてもあの水柱は止まりません。それなのに……このままでは中原の大地だけでなく、むざむざと妃殿下を失うことに……」  己のしでかした事の大きさに打ち震える計里は、ただひたすらに詫び続けたが、イスカは彼に顔を上げさせると、その手を握った。 「お前の罪は問わぬ。なぜなら俺もあれが翡翠姫にあらぬことを知っていたからだ」 「なんと……?!」 「知っていて鴎花を王妃にした。あぁそうだ。俺もお前と同じ考えだ、計里」  イスカは今この瞬間にこの男がいてくれたことを、心底喜んだ。  国の指導者とは孤独なものであり、その判断の責任を誰かと分かち合うことなどありえないと思っていたが、自分と同じことを考える人間が側にいてくれることに、イスカはこの上ない安堵を覚えたのだった。 「鴎花は王妃としての資質を有している。だから俺は王妃とした。そうだ。あれは水柱に捧げるべきじゃない」  計里という味方が生じたことで、イスカは自分の考えに自信を持つことができた。  イスカは鴎花を王妃にすると決めた時、それに伴って生じる不都合くらい背負い込んでやる覚悟だったではないか。  彼女は自らの出生を何処かで知り、水柱に飛び込むことで全てを解決しようとしているのだろうが、そんなことはイスカが許さない。夫として妻を守るのは当然の務めだ。 「計里、白頭翁(バイトウウォン)を至急呼んでくれ。あの知恵者であれば、この事態を解決する策を練ってくれる気がする」  一筋の光明が見えてきた気がした。  イスカはこれまでとは打って変わった力強い声で、計里に命じたのである。 ***  しかし白頭翁はこの時、動きたくても動けない状態であった。  イスカの側に仕えるようになっても、高齢故に自分の家を構えることを面倒がった彼は、今でも計里の屋敷に居候しているのだが、数日前にぎっくり腰を患い、寝込んでいるそうだ。  しかし今は白頭翁しか頼れる者がいない。  そこでイスカは計里を連れて、密かに木京の街へ向かうことにした。  小役人に過ぎなかった計里も、今はその身代に相応しい大きな屋敷を、それも瑞鳳宮のすぐ近くに構えていた。その裏門からこっそり入ったイスカは、彼の後妻で、同郷の出身であるアトリにすら挨拶をせず、まっすぐ白頭翁の元へ向かった。  果たして、白髪の老人は南向きの日当たりの良い部屋の寝台に一人横たわっていた。さすがに身の回りの世話をする下女の尻を触ることもなくおとなしくしている。 「おぉ、陛下。横になったままで御意を得ること、どうぞお許しくださいませ」 「それは構わない」  イスカは計里と共に白頭翁の枕許に腰を下ろした。  こんな体調の時に押しかけたのは申し訳ないが、快復するまで待っている余裕はもちろん無い。  イスカは挨拶もそこそこに本題に入った。 「何とかしろ、白頭翁。今のままでは俺は王妃を水柱へ捧げることになってしまう」  イスカの噛みつくような訴えに対し、白頭翁は顔色を変えなかった。ただ歯の無い口で、年少のイスカを諭すかの如く、静かな口ぶりで答えたのだ。 「……陛下。それが一番の解決策でございます」 「何だと?」  イスカは耳を疑った。  白頭翁はこれまでも鴎花の相談に乗ったり、様々な世話を焼いてきたものだ。  それは鵠国の旧臣としての忠誠心によるものだけでなく、鴎花個人の人柄に惹かれているからだとイスカは感じていた。  そんな彼だからこそ、彼女の危機には力になってくれると信じていたのに。まさかこんなにあっさりと鴎花を水柱へ捧げよと勧めてくるとは……!!
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