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「陛下がいかに振舞われるかを、民は見ております。ここを乗り切らねば、威国はたちゆきませぬ。妃殿下もそのことはよくご存じであられましょうや。ゆえに嫌だとは申されぬはずですぞ」
「……あのな、白頭翁」
呼びかけつつも、ちらと傍らの計里に目を向けると、彼も小さく頷く。
これも鴎花を救う為には必要なこと……イスカは神妙な顔をして偽りの秘密を語った。
「お前にだけは明かす。あれは皇族の血を引いていないんだ。ゆえに生贄になることはできない。本人が望んだところで、それでは無駄死にしかならぬのだ」
「恐れながら、それは真の話ではございませぬな?」
疑問の形を取りながらも、白頭翁の言葉には妙な迫力があった。
垂れ下がった瞼の下で光るのは、小揺るぎもしない小さな黒い瞳。
全てを見透かす老人の眼光に気圧され、イスカは黒衣の下でつぅと脂汗が流れるのを感じた。
(白頭翁は真実を知っている……?!)
しかし崔皇后の話だと、乳母と皇后しか知らない事実であるはずだ。
一体どういうことなのか……イスカは全力で冷静さを装って問い返した。
「……何が言いたい?」
イスカに睨めつけられた白頭翁は、目尻の皺を一段と深く刻みこむと、溜めていた息を静かに吐き出しながら言った。
「この爺ぃめが後宮を追われたのは、姫様が疱瘡を患った直後のことになります。儂のような宦官だけではございません。伽藍宮では下働きの女に至るまでごっそり入れ替え、その上、皇后陛下は郭宗陛下の乳母を殺めております」
「……」
「これが意味するのはただ一つ。何か隠したいことがあったからに他なりません」
この敏い老人は、誰に説明をされたわけでもなく、ただ状況証拠だけで真実に辿り着いたらしい。
さらに彼はそう考えるに至ったもう一つの理由を説明した。
「後宮を離れた後も、知人のつてで、姫様の乳姉妹が痘痕面であるとの話は聞いておりました。側に置く女官らの美しさを重視する皇后陛下が、痘痕の女児を手元に残しているとは、不自然なことです」
傍らに控えていた計里が息を呑むのが、その息遣いで分かった。
現状、唯一の理解者である計里までもが動揺させられたことに、イスカはついカッとなった。
「ならばお前は最初から、痘痕を持った鴎花の方が真の皇女だと気付いていたのだな? お前が鴎花にそれを明かしたのか?!」
語気が自然と荒くなるのを自覚した。
鴎花は自分が皇女と知って尚、その責務から逃げようとする女ではない。
そのことはイスカが誰より良く知っている。
だったら鴎花に真実を伝えた者こそ、彼女を今、水柱へと追い詰めている張本人ではないか。
しかし白頭翁は、これはあくまで推論でございますゆえ、今まで誰にも口外して参りませんでした、と述べた。
白頭翁とて、決して積極的に鴎花を失いたい訳では無いのだ。彼は深い悲しみを湛えて、褐色の肌を持つ若き王を見つめてきた。
「初めて妃殿下にお目にかかった際、痘痕がちらと見え、あぁこのお方こそ真の五姫様であろうと分かりました。しかしそのお手を握ると、とても姫君として暮らしてこられたお方のものではないのです。あの荒れ方は、下女として冷たい水を毎日扱っているもの。恐らく妃殿下はご自分の出自をご存知無いまま、何か事情があって……恐らくあの時は側にいた侍女と入れ替わり、陛下の前でだけ翡翠姫として振舞っておられるのだと、予想いたしました」
この老人は、好色ゆえに女の手を握っていたのではなかったのだ。
むしろその好色を利用して、女の身分や真の暮らしぶりを推し量る手段にしていた。
後宮で働く宦官は、宮女達の管理もその務めの内である。白頭翁は真に有能な宦官であったのだろう。
「……お前は察しが良すぎるぞ、白頭翁」
呟きの中に苦々しさを隠しきれなかった。
この男が鴎花の正体に気付かないでいてくれれば、今頃彼女を助けるための策を共に練ることができたであろうに……。
しかし全てを見抜いていた彼は、鴎花を水柱に捧げないという選択肢を最初から持ち合わせていなかったのである。
「陛下……妃殿下は贄になることを望まれているのでありましょうや? そのお志は、どうか尊重して差し上げてくださいませ」
白頭翁は目に熱いものを滲ませて、訴えてきた。
「妃殿下が痘痕面を嗤われながら成長なさったことは、容易に想像がつきます。命を取られる方がまし、と思うほどの酷たらしい仕打ちも受けてこられたはず。ですが陛下の隣りに寄り添っておられる時の妃殿下は、ほんに幸せそうなご様子でした」
山羊を育て、鴉威の風習や食事を取り入れようと励む彼女は、イスカのことだけを考えていた。誰に押し付けられたわけでもなく、それこそが彼女の意志だった。
そしてイスカもまた痘痕に覆われた彼女を蔑むことなく、一人の女性として愛していることを知り、白頭翁はどれだけ嬉しかったか分からないとさめざめと泣いた。
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