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三.
天祈は天帝とこの地を治める為の盟約を結ぶ際の、皇女と皇后だけに伝承されている格式の高い伝統の舞い。
崔皇后はこの舞いを雪加だけでなく、その乳姉妹に過ぎない鴎花にまで教えていた。
「どうせそこにいるのじゃ。そなたもついでに覚えておけば良かろう」
普段は醜い容貌の鴎花と口をきくことすら忌み嫌っていた彼女が、素っ気なくはあるがわざわざ声をかけてくれたのは、今日の日の為だったらしい。
この先、もしも水柱が上がることがあれば、いくら痘痕面であろうと本物の皇女である鴎花を捧げなければならないと彼女は考えていたのだろう。
皇后から舞いを教わっている最中、秋沙が少し不安げな目でこちらを見ていたのは、醜いものを極端に嫌う皇后から鴎花が不当な扱いを受けないか、そして自分の娘が誤って捧げられるような事態にならないかを案じていたからかもしれない。
秋沙は今、どこで何をしているのだろう。
イスカは以前、鴎花の頼みを聞き入れ、人をやって秋沙の故郷を探してくれたが、眼病を患って故郷に戻った彼女は、年始の変の後、木京へ行くと言って出て行き、それ以降の足跡が掴めないそうだ。
生みの母ではないにしても、鴎花を愛情深く育ててくれたのは秋沙であるし、できることなら彼女には実の娘である雪加とも再会させてあげたかった。しかしその雪加はもう鴉威の地へ行ってしまったので、今はもうそんなことを望むべくもない。
痘痕で覆われた自分の姿を人前に晒すわけだから、鴎花は当然舞いを苦手としていたが、今こうやって噴き出す水柱の真下で舞うことには、何の抵抗も覚えなかった。
むしろ白々と夜が明けていくのを感じながら天への祈りを捧げることには、ある種の高揚感さえ覚える。
しかし目を上げれば、そこには轟音を上げて大地の割れ目から噴き出す水の柱があった。地面の割れ目から水が噴き出しているのだ。いずれは大地を覆い尽くさんと、とめどなく溢れてくる水の勢いは恐ろしかったが、それでも鴎花にはすぐ傍で支えてくれるイスカがいる。
昨夜、暗くなってから香龍宮へ戻ってきた彼は、日中に高楼で再会した時よりよほど落ち着いた、しかし強張った表情で「中原を救うため、お前を水柱に捧げたい」と告げた。どうやら時間を置いたことで、王としての覚悟を固めてきたようだった。
すでに心を決めていた鴎花は、これを二つ返事で了承。生まれたばかりの息子は小寿とウカリに預けた。
たくさんの子を育てている小寿なら、この子のこともきっと立派に育ててくれることだろう。
そして鴉威の民であるウカリが側にいれば、イスカの跡を継ぐにふさわしい鴉威の男として導いてくれると思う。
この子は鴉威と華人、両方の血を引いた、二つの民族の未来を象徴する存在なのだ。どうか安らかに育ってほしい。
小寿もウカリも、そして幼い杜宇までもが涙を流して鴎花との別れを悲しんだが、生まれたばかりの息子だけは、その青灰色の目を大きく見開いて旅立つ母を見送った。
もちろん、鴎花だって名前もつけていない我が子と別れるのは辛い。それでも鴎花が水柱に飛び込み、天と地を結ばない限り、中原は水没してしまうのだ。母としての我儘を通している場合ではない。これはこの幼い息子の未来を守ることにもなるのだ。
捧げると決めた以上、なるべく早い方が良いと言ったイスカは、真夜中に出立することに決め、自らの操る馬に鴎花を乗せた。
これには明るい時間だと、人々が集まって来て収拾がつかなくなるという意味もあったらしいが、翡翠姫を早く捧げて欲しいと願う人々は夜中であるにも関わらず瑞鳳宮の周りに集まって来ていたのだ。
彼らは今にも瑞鳳宮へ雪崩れ込む勢いだったが、イスカが鴎花を連れて表へ出てくると、大きな歓声を上げた。
鴎花はこの時面布をつけていたが、翡翠色の絹の長衣を身に纏っていたので、遠目からでも翡翠姫だと知れたのだ。
「国王陛下、万歳!!」
これは鴎花が初めて目にする異様な光景だった。
平伏する人々の声が波のように重なって高まり、騎乗する鴎花を包み込むのだ。
暗闇の中で人々の塊が盛り上がって、迫ってくるような感覚……鴎花は思わず恐怖を覚えてその身を縮ませたが、イスカは彼らの声を堂々と受け止め、励ますように鴎花の手を握ると、葦切へ続く道をゆっくり進んだ。
供をするのは鴉威の騎兵らと華人の兵士ら、合わせて三百人近く。
人数を揃えたのは、怯え切った人々が焦るあまり暴徒と化してイスカの手から鴎花を奪おうとすることも考慮してのことだったが、それは杞憂に終わった。
鴎花を愛しげに抱きしめ、それでも毅然と葦切へ向かう王の姿を前にして、人々は国王陛下万歳、以外の言葉を発することができなかったのである。
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