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(……そう、全ては陛下の為)
舞い始めると、鴎花の心の内にはこれまでイスカと過ごした時間のことがありありと蘇ってくる。
年始の変の混乱の中での出会い、初めて契りを交わした夜のこと。二人で見た高楼からの広大な景色に、山羊と戯れ、鴎花が淹れた茶をイスカが飲んでくれた楽しい日々のこと……。
そのどれもがかけがえのない思い出だ。
これまで伽藍宮の片隅でこの醜い容姿を恥じ、消え入ることだけを考えて暮らしていた鴎花を、彼は必要として求めてくれた。
鴎花が今、痘痕の浮いた蟇蛙の如き素顔を晒して舞っていても、堂々としていられるのは、まさに彼のおかげだ。イスカという、どんな自分でも受け入れてくれる絶対的な存在を得て、鴎花はどれほど強くなれたか。
イスカと共に暮らせたのは一年とほんの少し。
鴎花が天帝の娘であったがために、短い期間しか一緒にいられなかったが、それでもいい。
その血筋のおかげでこの身は中原を救い、彼の役に立つことができるのだ。むしろ感謝している。
「あ……」
流れるような動きで、鴎花が差しだした右手の指の先から不意に強い光が溢れ出した。
圧倒的な輝きを纏って陽が昇ってきたのだ。
長河の上流である東の方角から顔を覗かせた太陽は、まっすぐ伸ばした鴎花の指先に導き出されたかのように見える。
長時間舞い続けたことで息を切らしていた鴎花は、その動きを一旦止めた。
舞うことで身体が熱くなったせいだろうか。全身に浴びる水の粒すら妙に生温かく感じるし、生まれたばかりの陽の光を浴びた水滴は、キラキラと輝いて見えた。
それはとても神々しい光景で、鴎花は自分が朝の陽と一つになったような感覚に陥ったのだ。
「……陛下……これで舞いは終わりです」
鴎花は息を弾ませながら、一段低いところに立っているイスカに声をかけた。
この時ちょうど、大きな音を立てて噴き出していた水柱が、今までとは異質な、唸るような低い音を上げたのだ。
これこそが水柱に飛び込む合図であると、鴎花は予め聞いていた。
天におわす龍の神が自分の娘の存在に気付いて地上へ目を向けた時に、この音がするのだそうだ。
イスカは鴎花の告げた言葉の意味を理解し、すでに不要となっていた松明を投げ捨てた。
彫りの深い顔を、大きく歪めている。
さすがにそのまま泣き出しはしなかったが、その表情からはそれに近いものを感じた。
鴎花は優しく微笑むと、岩の上で正座した。
そして目と鼻の先にいるイスカに対し深々と頭を下げる。
自分が立ったままでは、低いところにいるイスカより頭が高くなってしまい、それを申し訳なく感じたのだ。
「陛下のご厚情、決して忘れるものではありませぬ。これまでありがとうございました。どうかこれからもこの地に生きる民を、力強く導いてくださいませ」
今こそ別れの時。
万感をこめて挨拶をする鴎花の背後で、不気味な音がまた響いた。
水柱が唸っている。
全て伝承の通りだ。天帝がこちらへ目を向けていることは、やはり間違いない。
この時、イスカの口元が何か呟いたように動いた。
しかしその声は水柱の轟音でかき消され、鴎花の耳には届かなかった。
聞き返すように鴎花が小さく首を傾げると、イスカはこの直後、誰もが予期せぬ行動に出たのだ。
「……ならぬ」
奥歯をギリギリと噛み締めたかと思えば、彼は突然、鴎花がいる岩に足をかけ、この上に飛び乗った。
一体何をするつもりかと鴎花は驚いたし、少し離れたところで見守っていた蓮角ら供の者達も、王の行動の意味が分からず、大きくどよめいた。
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