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しかし騒がしくなった背後には目もくれず、イスカは鴎花の身体を横抱きに持ち上げたのだ。
「きゃっ?!」
「やはりお前一人を行かせるのは、心許ない」
「へ、陛下……?!」
混乱する鴎花に口を寄せたイスカは、振り返るや否や、岩の上に集まっていた供の者達に大きな声で呼びかけた。
「聞け! 俺は今より天帝にその意思を問うて来る。天帝は真にこの地に自分の娘を贄として捧げられることを望んでいるのか。そして辺境の蛮族と呼ばれてきた俺に、中原の王たる資格があるのか!!」
「ええ?!」
「天帝が血筋のみを重んじ、俺のような男など塵芥に過ぎぬと言うのならば、それまで。だが俺は天におわす龍神がそのような狭量とは信じぬ。俺は王妃と共に必ず戻って来よう。皆、しっかりとその目に焼き付けておけ!!」
イスカがやろうとしていることを察し、鴎花は全身から血の気が引くのを感じた。
彼はなんと、鴎花を抱きかかえたまま共に水柱へ飛び込もうとしているのだ。
「陛下、いけません。贄になるのは、私一人で十分です!」
「うるさい。これは俺の問題だ。お前一人をこんなところへ突き落として、どうして偉そうに中原の王を名乗れる?」
鴎花は暴れてイスカの手から逃れようとしたが、これを抑え込んでくる力は信じられないほど強かった。
「俺は終生、お前と共にあると決めたんだ。お前も肚を括れ」
抱き締めた鴎花の耳元に囁いたイスカは、大きく口角を歪めた。
水柱から降ってくる水滴でずぶ濡れになった褐色の頬は、流石に緊張で強張っていたが、鴎花を覗き込む蒼い瞳は、鵥の羽を彩る鮮やかな差し色と同じに輝いていた。初めて会った日と同じく、その瞳はぞっとするほど美しい。
鴎花は声にならない悲鳴を上げたが、これにはイスカの率いてきた供の者達も黙ってはいなかった。
「陛下っ!! おやめくださいっ!!」
悲鳴を上げながら一同の先頭を切ってこちらへ走ってくるのは蓮角だ。しかし彼は岩の表面を覆っている激しい水の流れに足を取られ、転んでしまった。
その姿を一瞥したイスカは、手を離すなよ、と鴎花に囁くと同時に、力強く地を蹴った。
「陛下あぁっ!!!」
鴉威の者達も、華人達も、イスカの供をしてきた者達はそれぞれの言葉で絶叫した。
そんな声を纏いながら、威国の王と王妃は、勢いよく水柱を噴き上げていた地の割れ目へその身を投じたのだ。
「そんな……」
二人の姿が消えてしまった祠の前では、水柱が噴き上がる以外の全ての音が消え去り、柔らかくも力強い朝の光が、人も水も大地も等しく包み込んでいた。
その光と水滴によって、空には淡く七色の虹が生じている。
それはまるでイスカと王妃が虹をかけて天帝の元まで旅立ったかのようで、この世のものとは思えぬ美しい光景を前にし、供の者達は放心したままその場に崩れ落ちた。
そして予想外の出来事に呆然としていたのは、葦切にいた供の者達だけではなかった。
辺りが明るくなったために川岸に出て、水柱の様子を見守っていた大勢の人々もまた、言うべき言葉を失っていた。
黒衣の王が翡翠色の衣を纏った王妃を抱き上げたまま水柱に飛び込んだ姿は、川の上流、東の方角から昇ってくる朝の陽に照らされ、長河の北岸からでもはっきりと見えていたのだ。
「……これで、良いのか?」
誰かがぼそりと呟いた。
その身を以て天と地を結ぶのは、天帝の娘であったはずだ。
そこへ蛮族の男が加わっても良かったのか、この時はまだ誰にも判断できなかったのだ。
しかしこの後、一刻もしないうちに水柱に変化が起きた。
激しかったはずの勢いが急に無くなり、最後に二、三回、高く噴き出したかと思えば、突然……そう、あっけないほど突然、水が止まってしまったのだ。
「あ……」
この場にいた全ての人々はこの瞬間、老若男女を問わず、等しく同じ呟きを漏らすことになった。
「助かった……」
人々は糸が切れた人形のように、膝から崩れ、そして地に頭をこすりつけて平伏した。
天帝が地上に住む人の子らを認めてくれた……中原は水で覆いつくされる危機を、免れたのだった。
***
水柱が止まったことは、長河の南岸へ馬を飛ばして駆けつけた郭宗もその目ですぐに確認した。
「中原は救われたのか……」
郭宗もまた、呆然と呟いた大勢の内の一人だった。
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