二章 夷狄の王

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「しっかし、あの女もよく王妃になることに同意したよな。もちろん従う以外に手は無いんだけど、高慢ちきな皇女様だけに、もっと逆らってくると思ってた」 「そうだな。俺もその点は意外だった」  イスカは大きく頷いて同意した。  彼女の側から考えれば、イスカは祖国を滅ぼした憎い男だ。しかもイスカは瑞鳳宮を占領した夜、木京にいた彼女以外の皇族を容赦なく殺している。余人が天帝の血筋を手に入れ、王位を脅かすことが無いようにするためだ。  皇帝と皇后だけは行方知れずだが、彼女の叔父や叔母、兄弟達を大勢手にかけているのだから、イスカはもっと反発されてもいいはず。  だが彼女は言うのだ。 「それはその……正直なところ、他の皇族達とはほとんど縁がなかったのです。儀礼的に叔父や叔母とは呼んでいましたが、親しくしていたわけでもありませんし、殺された兄弟達は腹違いなので余計に縁も薄く……」    年始の宴のために集まっていた皇族を残らず殺したのだと伝えた時、彼女があまりに落ち着いていたものだからイスカが理由を訊ねると、彼女は困惑した表情でそんな返事をしてきた。  もちろんその言葉が本音だと信じるほど、イスカも愚直ではない。この女はイスカに従うふりをして油断させ、背後からグサリと刺してくるつもりなのかもしれない。  何しろ初夜の寝所に、折れた化粧筆を持ち込もうとしていたくらいなのだ。  後刻アビから報告を受けたイスカは、化粧筆如きでどうにかできると思ったところが女の浅知恵だな、と笑って不問にしたし、以降の彼女はおとなしく振舞っているが、しかし心を許すわけにはいかない。 「あいつも虚飾の国の女だからな」  イスカは足元の小石を革靴の先で蹴り飛ばした。  所詮は顔を覆う痘痕を隠して中原の宝玉、翡翠の姫と名乗ってきたような女だ。  保身のため、そして祖国を復興させる機を伺うために、憎い男に身を委ねるくらいのことはするだろう。  イスカは最初、彼女の痘痕面にこそ同情したが、それゆえに甘くなりすぎないように、と今は自らを戒めている。  そんな気持ちは伝わってしまうのか、彼女の方でもここ最近はイスカとなるべく口をきかないよう気を付けている節があり、やはり互いに心を通わせるのは無理そうだ。  翡翠姫はイスカの子さえ産めばよい。  威国の王たるイスカにとっては所詮、それだけの存在なのだ。 「王妃と言えばさ……」  アビがふと何かを言いかけた。  しかし歩いている二人の目の前に、池の中に浮かぶ小さな島と、そこに建っている粗末な造りの小屋が見えてくると、彼は口をつぐんでしまった。  イスカがどうしたんだ、と聞き返す前に「なんでもないや。じゃあな。また明日の朝、迎えに来る」と、アビは早口で言った。  どうやら積極的に触れて欲しくはないが、打ち明けておきたい話があるようだ。しかしイスカにはどんな話なのか見当もつかない。  小首をかしげる兄を池の前に残し、アビは自室のある伽藍(ティエラ)宮へ去っていったのだった。
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