二章 夷狄の王

6/17
前へ
/150ページ
次へ
二.  伽藍(ティエラ)宮の庭園に位置する大きな池の真ん中に浮かぶ島に、鴎花(オウファ)雪加(シュエジャ)は幽閉されていた。  この池は人工のものだが、かなり広い。  島と岸辺は一本の橋で結ばれており、島の中央には庭を見渡せるように二層構造の楼閣も作られていた。  その大きさは一片が一丈(約3.3m)の正方形。  在りし日にはこの楼閣に皇帝夫妻が並んで座り、池に小舟を浮かべての花見などを楽しんだものだが、イスカはこの建物を改装し、一軒の家に作り替えた。  島の大きさギリギリまで壁を伸ばして床面積を三倍ほどにし、これまで吹き抜けになっていただけの二階部分へも床板を貼って登れるように改装したのだ。  そして岸辺側の橋の袂には見張り小屋を作り、兵士を駐屯させた。  王妃とは名ばかりである旧王朝の皇女を幽閉するには、他の者らが接触できないよう島の中に閉じ込めておくのが都合良かったらしい。  鴎花が長い間軟禁されていた表宮からこの浮き島へと身柄を移されたのは、初めて彼と通じた日の翌日だった。それから日を開けず王位に就いた彼は、以来毎晩欠かさずに鴎花の元へやってくる。  しかしこの浮き島で彼が行うことといえば、運ばれてきた夕餉を一緒に食べ、その後鴎花を抱いて寝て、翌朝また朝餉を食べて出かけるだけ。  下手すれば会話が一つもない日もあり、これが夫婦というものだ、と言われれば、夫婦とはなんと淡白な間柄かと鴎花は思う。  まぁ、それについては鴎花も悪いのだ。 「そなたの行動は、全て翡翠姫のものとなるのじゃぞ。蛮族に馴れ馴れしい態度を取るでない。(わらわ)に恥をかかせる気か」  侍女に扮した雪加がそう言って鴎花を睨んでくるから、イスカに優しく接することができていない。鴎花が冷淡な対応ばかりしているのでは、彼が心を開いてくれないのも当然であろう。  イスカとの関係は捗々(はかばか)しくなかったが、この島での暮らしは存外快適である。  鴎花が島の外へ出ることは許されていないが、それでも必要な衣服や化粧品、身の回りの品などは、兵士に頼めば無理のない範囲で取り揃えてくれるようになったからだ。  それにイスカのいない日中は、雪加と二人きりでゆったりと過ごせるから、その点もありがたい。  イスカの前ではおとなしく振舞っている雪加も、周囲の目が無くなれば元の気儘なお姫様に戻れるのだ。 「いつまでもそのようなふてぶてしい顔をするでない! 腹立たしい!」  この日も、朝になって無言のまま出て行くイスカを見送った直後、家の扉を閉めると同時に、雪加の平手が鴎花の頬を打ち鳴らした。  どうやら鴎花の顔つきが王妃然としていて、生意気に見えたらしい。  つい先程まで翡翠姫として振舞っていたのだから仕方がないと思うのだが、気が立っている雪加にはそのような理屈が通じない。 「妾を顎で使って、さぞやいい気になっていたのであろうな。その醜い顔に書いてあるわ」 「とんでもありませぬ。方便とはいえ姫様に侍女のフリをさせるなど、大変申し訳ないと心苦しく……」  とにかく主の怒りを鎮めようと鴎花は平伏して懸命に謝ったが、雪加はいきり立つばかりだった。 「ええぃ、口先だけの謝罪などいらぬ。さっさと洗濯でもしてまいれ! 彼奴(きゃつ)は食べ方が汚いゆえに、すぐに衣を汚しおるからな」 「はい、只今!」  甲高い声で(わめ)く雪加から逃げ出したい一心で、鴎花は汚れた衣服を手にして表へ飛び出した。  楼閣を改造した折、島に元々生えていた木は全て切り倒してしまったが、対岸の岸辺では木蓮の花が咲いているのが見える。  季節の花々の美しさを理解しない鴉威(ヤーウィ)の民は、庭木の手入れもしないから雑草が伸び放題なのだが、大きな木は放っておいても季節ごとに綺麗な花を咲かせている。  特に、中心が淡く、外側になるほど花びらを重ねて色を染めていったように濃い赤紫色になるになる木蓮の花は鴎花も大好きで、どれだけ見ていても飽きない。
/150ページ

最初のコメントを投稿しよう!

82人が本棚に入れています
本棚に追加