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イスカの黒衣を一瞥した老人の黒い瞳には、もはや憐れみに近い感情が宿っていた。イスカが華人の優位を理解できないことが、信天翁にはまるで理解できないのだ。
「なんだと?」
「獣を追いかけ、儀礼を守らず、力を誇示するだけのぬしらは、まさに獣同然ではないか。花鳥風月、四季を彩る美しいものに接しても、涙を流すことも無ければ、詩を詠むこともできぬ心貧しきぬしらに、同じ人間などと言われるのは片腹痛いわ」
「詩を詠めないと心が貧しい? ならば燕宗はどうなる。あやつは確かに詩を詠むことにかけては人一倍優れていたそうだが、実際にやったことと言えば、俺達が瑞鳳宮に攻め込んたと同時に、自分一人で逃げ出したことくらいだぞ」
「え? そうなのか?」
イスカの言葉にいち早く反応したのは、信天翁ではなくアビの方だった。
皇帝が瑞鳳宮から逃げたことは知っていたが、一人だけで逃げたことまでは知らなかったからだ。皇后の行方も未だに不明。二人が一緒に逃げた可能性も高いはずなのだが……?
「……あぁ、そうなんだ。燕宗の侍従がそう証言している」
驚いている弟から目をそらしたイスカは、再び信天翁に話しかけた。
「部下を見捨てるような男に遠慮する必要は無いだろう。お前がいつまでも鵠国に忠誠を誓う理由を、逆に知りたいくらいだ」
イスカが畳み掛けると、彼は重々しい口調で答えた。
「君雖不君、臣不可以不臣」
嫌がらせのような小難しい返答に、イスカは眉間に皺を寄せて押し黙った。
そして黒い瞳の弟を振り返って「なんて言ってるんだ?」と説明を求める。
日常会話はできるが、あまり難しい表現をされると理解できないのだ。
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