二章 夷狄の王

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四.  この時の鴎花(オウファ)は浮き島の家の扉の前にしゃがみこみ、七輪と格闘しているところだった。  団扇であおいで風を送り、火力を調節する。  そんな慣れぬ作業に没頭していたものだから、イスカがすぐ目の前で仁王立ちになっていると気付いた時には、声も出せぬほど驚いてしまった。 「!!」 「何をやっているんだ、お前は?」  凍えるような冷たい目で見下ろされてしまったが、その言葉は鴎花こそが投げかけたい。  今まで日中は浮き島へやってこなかったのに。今日に限ってどうして?  混乱しつつも、鴎花は半瞬で今の状況を思い返した。  雪加(シュエジャ)は今、家の中にいるはずだ。彼女は今日も機嫌が悪くて、朝餉にも手を付けぬままふて寝している。  侍女が日の高いうちから休んでいるなんて不自然極まりない状況だから、イスカに見つかるわけにはいかない。今すぐにでも彼女を起こして、この場を乗り切らなくては……。  しかし目線をイスカの顔へもう一度向けたら、褐色の肌に血痕が飛び散っていることが分かり、鴎花は改めて悲鳴を上げてしまった。 「お、お顔に血が……!」 「俺の血じゃない」  手の甲でざっくりと頬を拭ったイスカは、いつになくぶっきらぼうな口調だった。  普段から口数の多い方ではないが、それでも鴎花を冷たくあしらうことはなかったのだ。  一体、何があったのだろう。今の彼からは、まるで氷の壁を間に挟んでいるかのような有無を言わせない拒絶感を感じる。  しかし今はイスカより雪加だ。  鴎花は勢いよく立ち上がると、戸板を打ち付けただけの粗末な家に向かって金切り声を上げた。 「何をしているのです、鴎花!! 陛下がおいでですよ。お召し替えの着物を用意なさい!!」  イスカの来訪を伝えたい一心で声を張り上げた鴎花は、そのままの勢いで家の中へ戻ろうとしたが、引き戸に手をかけたところで彼に遮られた。 「おい、火をつけっぱなしだぞ」 「そ、そうでした」  慌てて七輪の前へしゃがみ直して火を消す鴎花に対し、イスカは「それで、お前は何をやっているんだ?」と眉根を寄せたままもう一度尋ねた。 「そ、それは……」    鴎花は言葉に詰まってしまった。まさかイスカが明るいうちにやってくるとは予想しておらず、気の利いた言い訳を用意していなかったのだ。 「わた……いえ、妾は料理を作るのが好きなのです」 「はぁ?」  視線を彷徨わせ、しどろもどろに答えると、案の定イスカの眉間の皺がより一層深くなった。  やはり不自然であったか。しかし、こうなったらその設定で押し切るしかない。 「はい。厨房からこちらに食事が届けられるのは日に二回なので、小腹が空いた時に食べられるものを自分で作ってみようと思い立ちまして」  鴎花が作っていたのは握り飯だった。七輪の網の上にお行儀よく三個並んでいる。  雪加が食べなかった朝餉を、見た目が変わったら食欲が湧くのではないかと思い、作り替えてみたのだ。  七輪の使い方はかつて母が教えてくれたから、鴎花も知っており、橋の袂に詰めている鴉威の兵士に頼んでつい先ほど持ってきてもらった。  彼らは華語(ファーユィ)をろくに解さないので、紙に書いて渡し、判読できる者に見せることで用意してもらったのだ。 「陛下も召し上がりますか?」  イスカの胸に生じているはずの疑念を、形にする暇を与えてはならない。  焦った鴎花は表面にうっすら焦げ目の付いた握り飯を半分に割り、彼に無理矢理押し付けた。そして毒見のためその半分を食べて見せる。
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