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蛮族達に何も言い返せないままその場で俯いた鴎花だったが、しかしその視界は不意に黒色に染まった。
男達のうちの一人が自身の羽織っていた外套を外し、鴎花を頭からすっぽりと覆ったのだ。
突如として視界を奪われた鴎花は大いに戸惑ったが、うん? これは笑われないよう、庇ってくれたということ?
「お前が翡翠姫で間違いないな?」
男の体温が残る黒い衣の下にいた鴎花には、誰が話しかけてきたのかまでは分からなかったが、声の向きから考えて恐らく外套をかけてくれた男が言ったのであろう。
野太いその声が操ったのは鴉夷の言葉ではなく、鴎花達の常用語である華語だったから今度は理解ができた。
そして周囲からの視線を遮ってもらったことで、自分の為すべきことも思い出す。
この顔を嘲笑われることなど、どうでもいい。今の鴎花には、翡翠姫としての振る舞いを成し遂げる責務があるのだ。
「……そうです。妾が翡翠姫です」
かけてもらった外套を握りしめ、その隙間から顔を突き出して鴎花は立ち上がった。そして敢然と顔を上げ、その漆黒の瞳を男達に向ける。
「兵を挙げてまで手に入れたかった美姫が幻と分かり、さぞや落胆したことでしょう。しかしこれが真実なのです。分かったなら今すぐ立ち去りなさい。そして、ここにいる者達にこれ以上の危害を加えぬように」
肥沃な中原の大地を三百年の長きにわたり治めてきた、鵠国の第五皇女としての威厳。鴎花は胸を張り、精一杯の声を張り上げた。
しかしその間も膝はガクガクと震えている。
なにしろ鴎花の知らない言葉を操る、血刀を握った蛮族達に囲まれているのだ。こうしている間にも、いつその刀が唸りを上げて首を刎ねるかも分からない。声を出せただけでもよくやったと思う。
「……俺がお前を得るために挙兵しただと?」
外套を貸してくれた男が眉尻を上げ、不快げな声を上げた。
そして彼は腕を伸ばすと、外套から顔を出していた鴎花の顎に、己の指を引っ掛けたのだ。
「!!」
「ふん、まぁいい。そういうことなら、俺はその目的とやらを果たしてやろう」
「え?」
「お前を妻に娶るということだ」
口角の端を歪めて宣言した男の顔を、鴎花は一生忘れないだろうと思う。
間近からまじまじと見上げることになってしまった長身の彼は、眉が太くて鼻筋が通り、彫りが深い精悍な顔立ちの青年だった。華人より濃い色の肌をしているから、余計に逞しく見える。
しかし髭は無い。中原に住む華人なら男性は顎髭を生やすのが習いだから、その容貌には若干の違和感を覚えるが、間違いなく成人男性で、年齢は恐らく二十代前半。つい五日前、年が明けて十八歳になったばかりの鴎花より少し上のようだ。
そして鴎花が何より魅入られたのは、彼の瞳の色であった。
松明の灯りに照らされたのは鴎花が初めて見る色……蒼色に輝いていたのだ。
(……鵥の羽に挿し色で入っている、あの美しい色と同じ……)
鴎花がその不思議な色に目を奪われた次の瞬間、体がふわりと宙に浮いた。男が鴎花の体を己の肩に担ぎ上げたのだ。
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