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「そういえば、宮刑になった理由も、後宮の女官絡みでしたかな」
本来宮刑とは恥ずべきものであり、士大夫ならば刑の執行前に自ら死を選ぶほどなのだが、過去の話であるためか、本人も懐かしそうに笑いながら教えてくれた。
「いやはや、昔から佳きおなごを前にすると、例え皇帝陛下の御前でも辛抱ができませんのじゃ。気がつけばつい手が伸びましてのぉ」
白頭翁の言葉に、けたたましい音が重なった。
飲み終わった茶器を下げていた王妃の侍女が、盆ごとひっくり返したのだ。
突然のことで男達がたじろぐ中、王妃は間髪入れず、侍女に対し厳しい声を上げた。
「表に出ていなさい!」
「……」
「いいから、早く!!」
こちらに背を向け、俯いたままその場に立ち尽くしていた侍女は、王妃に追い立てられるようにして家の外へ出された。
「……申し訳ありませぬ。失礼をいたしました」
粗相をした侍女を追い出して戸を閉めた後、王妃は頭を下げて謝り、床の上に散らばっていた割れた陶器を片付け始めた。
その辺りを走ってきたかのように彼女の肩は激しく上下していて、ひどく興奮状態にあることがイスカにも伝わってきた。
白頭翁も僅かに目を細めると、そんな彼女と一緒にしゃがんで、その破片を拾い集める。
そして慰めるように彼女に申し出たのだ。
「燕宗陛下の作られた茶器がこの爺ぃめの手元にございます。景徳寺へお供した折にご下賜いただいたものでしてな。今度お持ちしましょう」
「そういうわけには……」
「姫様にお使いいただいた方が、陛下も喜ばれましょうから……あぁ、これからはもう妃殿下とお呼びしなければいけませんでしたなぁ」
白頭翁は過ぎ去りし時の流れを噛み締めるように、顔を皺だらけにして微笑んだ。
こうして白頭翁は再度の来訪を約束して、名残惜しげに帰っていった。
それを見送ったイスカは、今日はもう表宮へ戻らず、このままここで過ごすと言った。表宮へ今から戻るのも面倒だったのだ。
王妃はそんなイスカの為にお茶を淹れ直してくれた。
茶器は元々五個で一組。割れたのは二個だけだから、新しいものを出してくれば間に合う。
王妃は茶を淹れるのが上手だ。
作法なんてイスカには知る由もないが、彼女が茶を注ぐ手付きは綺麗だと思う。優雅で優しげで。イスカはそれを眺めていたくて、茶を飲んでいるのかもしれない。
二杯目は透明感のある琥珀色の液体が出された。彼女はイスカが飽きないように茶葉を変えてくれたのだ。
「珍しいな、お前が声を荒げるのは」
先程とは違う、燻したような香りに目を細めたイスカは、王妃もまた自分用の茶を淹れて座ったところで、おもむろに話しかけた。
温厚な彼女が乳姉妹にも優しく接しているのをイスカは知っていた。臆病で人前に出るのが苦手だという侍女を庇うような素振りも、これまでは多かったのだ。
それがあれほどまでに怒る姿は、イスカも初めて見た。
お見苦しいところを、と恐縮しつつも、彼女は手元の茶器をじっと見つめながらぼそりと呟く。
「これは陛下の……父上様の作られたものでしたから」
この茶器は伽藍宮の棚の奥から出てきたものだった。年始の変の混乱の中でも欠けることなく、一式が揃っていたのはこれだけだったのだ。
王妃の父帝への想いに触れ「……そうだったな」とイスカが僅かに目を伏せて頷いた時、外からメェ~という間の抜けた鳴き声が響いてきた。
「元気そうだな」
重くなりかけた雰囲気を打ち払ってくれた山羊に、イスカは思わず頬を緩める。
「はい。毎日一緒に散歩ができて私も楽しいです。あの子は伽藍宮の草を食べてくれるので、庭の手入れにもなるのですよ」
彼女が喜んでくれるとイスカも嬉しい。
鴉威の習慣を学びたいがために飼ってくれているのならなおさらだ。
母の織った絨毯の上に座り、王妃の淹れた茶を飲みつつ、山羊の鳴き声を聞く……鴉威の民と華人が程よく入り混じったこの空間がイスカには心地よい。
(……こんな穏やかな日々が続けば良いな)
しかしその願いも虚しく、この翌朝、母山羊は小屋の中で口から泡を吹いて冷たくなっていたのだった。
(画・ハナさま)
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