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あの夜、雪加の寝所で宿直を務めていた鴎花は、騒ぎに気付いて目を覚ますと、廊下へ飛び出した。そして鴉夷の兵士達が邸内へ侵入しているのを目の当たりにし、すぐさま主の元へ戻ったのだ。
こんなところにまで入り込まれているのでは、逃げることは叶わない。かくなる上は鵠国の皇女としての威厳を持って彼らの前に出るしかない、と鴎花が意見を述べると「そんな恐ろしいことができるか!」と、雪加は悲鳴を上げた。
そして「そなたが翡翠姫を演じよ。妾は蛮族どものいやらしい目に晒されるなどまっぴら御免じゃ」と喚きだし、更には皇族の娘だけに許された銀の簪と絹の面布を鴎花に被せた。
「それを被っておれば、蛮族どもの目などいくらでも誤魔化せよう。どうせ妾の顔など知らぬ連中なのじゃからな」
「し、しかし……」
「蛮族どもは翡翠姫を得んがために、挙兵したのじゃぞ! 妾が捕まれば彼奴らの思う壺ではないか。そなたはしかと妾を守れ!」
恐怖のあまり目を血走らせた雪加は、声を裏返して叫んだ。
そしてこんな話をしている最中も、女官達のつんざくような悲鳴は辺りに響いていており、もはや一刻の猶予も無いことは明白。
乳姉妹として幼い頃からずっと雪加の側に仕えている鴎花にとって、主君の意向に逆らうのは不忠であったし、この場は了承するしか無かったのだ。
それに翡翠姫のために鴉夷の民が兵を挙げたという話は、鴎花も確かに耳にしていた。
雪加が中原の宝玉、光り輝く翡翠の姫と讃えられ、その美しさを歌に詠まれたのは、瑞鳳宮で催された一年前の年始の宴でのこと。
この歌のおかげで雪加の名は世間に広まり、遥か北の草原で暮らす蛮族達までが翡翠姫を知るようになった。
彼らはそんな美しい姫を得ようとして無謀な挙兵に及んだのだ……そんな話が出回ったのは、年が明けて以来この瑞鳳宮で連日催されている、今年の年始の宴の折でのことだった。
それでもこの話は「いやはや、蛮族達まで虜にするとは、翡翠姫のお美しさには感服いたします」と締め括られ、彼らの挙兵に危機感を覚える者は誰もいなかった。
辺境での反乱の知らせなど、遠く離れた都で優雅な歌舞音曲と共に聞けば、遥か昔のおとぎ話のようにしか感じられなかったし、しかも都は羽林軍という鵠国最強の兵団が守っていたのだ。
だから雪加自身も「蛮族の分際で妾を手に入れようとは……なんとまぁ、だいそれたことを考えるものじゃ」と笑い飛ばしていた。
しかし鴎花や雪加を始め、木京で暮らす者達は全く分かっていなかったのだ。遠く離れた土地での反乱の知らせは都まで伝わるのにも時間がかかる、ということを。
だから挙兵の知らせが届いて雪加が一笑に付した、その同じ時には、すでに彼らは木京の近くまで兵を進めていた。馬の扱いに長けた鴉夷の民は、反乱勃発を知らせる伝令とほぼ同じ速度で進撃していたのである。
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